ちいさな世界。
私は中学3年生の頃、急に朝起きられなくなりました。
それまで学校は無遅刻無欠席レベルで通う子で、部活の朝練も休まないような子でした。
朝はずっと弱かったけど。
でも突然 学校に行けない日が増えました。
自分でも戸惑うことばかりの日々。
もともと小学6年生頃から貧血気味で、「ああ これ ダメなやつだ」と思った瞬間に気を失って倒れて、気がついたらどこかしら打ったり怪我をしている ということが何度もありました。
目が覚めるまでに数秒なのか、数十秒なのか 自分ではわからない。体感的にはもっと長い けど一瞬。
まさに、うとうとしていて気がついたら「あれ今一瞬寝てた」っていうときみたいな感覚。
ただ、べつに毎日毎日そうなるわけではなく、予兆が来た瞬間にしゃがみこんだり、何かに掴まる などして 気を失うまでは行かずにやりすごしたり、たまにそれに失敗して倒れたりしていました。
ひどい時はトイレに行って、トイレのドアを開けた瞬間に倒れ、受け身も取れず便器におでこを打ち、大きなたんこぶをつくった日がありました。
石頭でよかった。無駄に頭固くてよかった。
でもそういうとき大体が、立ち上がる瞬間〜数歩歩いたところに起きることでした。
いわゆる「立ちくらみ」です。
それが確か中3頃から、突然 朝起きられなくなった。
目は開いているのに脳が起きてない 体が起きてない感覚。身体がすごくだるくて やる気がなくなる感覚。
学校も休みがちになって、部活も行けない日が増えました。朝から行ける日もあったりします。でも遅刻する日や行けない日が、どんどん増えた。
思えば身体がしんどい予兆はもっと前からあって、でもきっと 無理やり鞭打ってたんだと思います。
そもそも自分が学校に行かないなんてありえない、いじめられてもない自分が不登校なんてしんでもありえないことだ、と当時は思い込んでいました。まあそれなりにやなことはあれど、学校も部活も友達も だいすきでした。
毎朝「ちゃんと起きなさい」「学校行きなさい」「学校行くのなんて当たり前でしょ」と散々お母さんに怒鳴られ、夜は「どうして」と泣かれ「なにか学校で嫌なことでもあるのか 」と問われ
父は何も言わず でもその優しさも痛かった
もちろん学校に行けないほど嫌なことなどなにもないし、心は学校に行きたい、母を泣かせたくないし 期待に応えたいのに、それでも身体は起きてくれず
ケンカというよりはもう 言い返す元気もなかった
言ってるつもりなんです、症状を。でもそれを、母には〝 甘えだ〟〝 サボりたいだけ〟としか思ってもらえなかった。だから「言っても解ってなんかもらえないから」と、だんまりを決め込んでました。
一番理解して欲しい親にも理解してもらえず。まあこれは至極当たり前なことかなと思います。だって話さなかったから。体験しないとわからないしんどさだとも思う。でも当時は 本当につらかった。
身体のしんどさもそうだけど、心がしんどかった。
行きたいのに行けない 自分で自分がわからないし、「わたしは〝 学校に行く〟っていう普通のこともできないようなクズなん」って毎日泣いてた
病院なんて行きたくなかったけど、ここまで来たら行かんとしゃあない と親に連れられ受診し、いろんな検査をしました。でもどこも異常なし。
結果、「起立性調節障害」と診断されました。
これは自律神経系の障害で、ODとも言われています。
ドラッグの方じゃないよ。ドライブでもないよ。
起立性調節障害 についてはこちら↓
http://www.jiritsu-shinkei.jp/category/2011176.html
とてもわかりやすく書かれています。
起立性調節障害を簡潔に表すと、人間の自律神経には 起きている時に働く交感神経と、休む時に働く副交感神経とがあります。
夜と日中、身体は自然と神経を使い分けている。この症状の人はその切り替えが下手で、夜は元気に朝仕様の身体、朝になっても身体が夜仕様のまま なのです
だからね、朝は全然起きられないのに、夜になるとすっかり元気なんです。それを知ってるのは、家族だけ。普通これみてたら、サボり 甘えって思いますよね。朝のは仮病でしょう?って。
だからこそ、子から見ると理解されず 親から見ると理解できないのです。
だいぶ大人になってから知りましたが、全国の不登校で悩む子の中でも、いじめなどではなく、この症状のせいだった という人が、実は多いらしいです。
お医者さんには「いつ治るかは人によるとしか言えない。すぐ治るかもしれないし、20歳頃までしんどいかもしれない。でも20歳頃には良くなるケースが多いから、安心して。いつかは必ず良くなるよ。」と言われました。
正直なこと言うと このとき初めて病名がついて、20歳頃まで苦しいかもしれない とかそんなことより、「わたしが悩んでるこれは、わたしの甘えじゃなかったんだ」と思えて、だいぶ救われました。
ただ病名がついても、親の対応はそこまで変わりませんでした。親としても、そんな簡単に はいそうですか となれないのは仕方ないと思います。
それから自分に対してちょっとだけ考え方がかわり、ちょっとだけ自分との付き合い方を覚えました。
休むより遅刻 と目標を決めて、起きられなくても自分のペースで中学校に通いました。もちろん行けない日もたくさんあったけど。
当時は授業の途中に教室入る勇気がなくて、保健室の住人でした。保健室の先生って とっても重要な存在ですよね、本当にお世話になりました。
しあわせなことに、元ののんびりというか マイペースキャラからなのか、これが原因で周りの友達からいじめられたりすることもなく、聞かれなければ答えもせず。聞かれたら素直に答えてました。そのせいで「お前病気なの?」とか直接聞かれてましたが、特になんとも思ってなかった気がします。まあね って。
中学最後の1年間、これで乗り切りました。
担任の先生はおばさんで、ズバズバ言うしツンツンしてるけど、本当は優しくて生徒思いな人でした。
受験も 先生とたくさん話し合って、もともと行きたかった学校は諦めました。勉強はどちらかというとすきな方だったので、偏差値も60真ん中ないかなくらいの学校を受けようとしてました。でも出席日数が明らかに少ないので、それをカバーできるところにしよう とたくさん探した結果、結局偏差値10くらい下げた高校に入りました。
この選択は間違いだとは思ってないです。本当によかった。たぶん行きたかった高校に行けてたとしても、あのままなら辞めてたと思います。単位制だったし。
部活の顧問の先生も本当に心配してくれて、みんないい先生達ばっかりでした。友達も支えてくれたり、本当にわたしは周りに恵まれていました。
高校に入ってからは、環境が変わりました。
高校っていろんなことが自由だから、出来ることも増える。とくにわたしの通う高校は頭もそんなに良くないためか色々とゆるかったので、学校遅刻してくる人も、中学とは比べものにならないほど増えました。ヤンキーたちの中に紛れて遅刻していたせいで、ヤンキーとちょっと仲良くなりました。
そのおかげもあってか、「気まぐれで学校くる、めっちゃマイペースなやつ」で通ってました。笑
もちろん何度も留年危機、卒業危機になりました。
学校行けない日ばっかりでしたし、遅刻は当たり前、朝からいたらクラスメイトからびっくりされるほど
この頃にはもう、授業中に教室に入ることなんてなんとも思わなくなりました。慣れすぎました。むしろ友達からラインきて、お昼ご飯のおつかいとかしてました。いじめっ子にパシられていた訳じゃないですよ。
アイスたべながら遅刻して教室入って怒られたこともあった
実際、高校卒業はほんとにギリギリでした。
あと1日休んだらアウトくらい ギリギリ
親はむしろ、もう卒業諦めてたと思います。
先生から 携帯に直接電話もメールもしょっちゅう。
それでもなんとか頑張れたのは、まわりのみんなのおかげです。クラスメイト、部活、しあわせなことに、高校でもわたしは周りに恵まれていました。〝一緒に卒業しよう〟って言ってくれた友達がたくさんいたから。
その節は本当にお世話になりました。
実際さいごまで、クラスでわたしがそういう症状を持ってると知っている人の方が少なかったと思います。べつに隠してもなかったけど、仲いい子らも知ってたんかな?くらいです。
たぶんみんな、わたしのこと ただのサボり魔だと思ってたと思います それでもべつによかったです
そこはそんなに重要なことじゃなかった
大学受験も、出席日数が重要なAOや推薦は使えず。
勉強は嫌いではなかったので素直に勉強しました。
クラスの9割以上がAOやら推薦やらで、12月頃にはみんな進路が決まってるようなクラスでした。
(ゆるい高校なので専門学校志望も多かった)
みんなが遊んでる中、勉強し続けるのはなかなかしんどかったです。一緒に一般受験まで頑張ってた友達も途中で挫折したり、授業中に受験勉強してても(本当はよくないよ)まわりはうるさいし、遊ぶ約束が飛び交っていて、正直しんどかった。きっとこれは進学校のほうが「受験があたりまえ」なので、環境的には楽なのかも。まあ もちろん受けるレベルも違うんですけどね。
結局わたしは無事に、行きたかったところに受かりました。卒業の日に担任から「あんたの頑張りはずっとみてたよ。勉強も学校もよくがんばったね。見送れてよかった。卒業おめでとう。」と言われて、号泣しました。
担任の授業は受験科目じゃないから、授業中ほかの勉強してたの、見て見ぬふりしてゆるしてくれてありがとう
今思い返しても泣けます、本当にお世話になりました
これは中学も高校も共通して言えることですが、先生方と友達には たくさん心配と迷惑をかけたなあ
電話かけてくれたり、遅れてる分の勉強教えてくれたり、プリント作ってくれたり、本当に優しい人たちばっかりでした。わたし幸せ者でした。
大人になった今考えると、親はずっと心配してくれてたのが痛いほど解るし、わたしももっと話せばよかった。親を責めるつもりもないです。わたしは親になったことがないから予想でしかないけど、きっと人の親なら誰でもそういう気持ちがあるとおもうから。当時はかなしかったけれど、それは仕方ないことだって思えます。
結局お医者さんの言っていた通りで、20歳になる前くらいには 症状もだいぶ楽になっています。
あの苦しい「起きられない」は、20歳の今あんまりないです。起きられない時は高確率で ただ眠いだけです。
こういう経験してきて、いちばんつらかったのは、
やっぱりまわりに理解してもらえなかったことです。
それから、言われるとつらいワードがいくつかありました。それは「なんで学校こないの?」「明日は来る?」「学校きなよ」ニュアンス的にはこんな感じかなあ。
悪気がないのも解るんです。でも 答えられない。
正確には なんて答えたらいいか解らないんです。本当は行きたいんだよ って思いながら、ちょっと傷つきながらなんも言えず、苦笑いするしかなかった。
なにも言わずに「おはよう」って言ってくれる友達が どんなにありがたかったか。どんなに救われたか。
不登校にはそれぞれ理由があります。
ひとりひとり 違う背景があります。
まわりにそういう子がいるなら、ぜひ話を聞いて 寄り添ってあげてほしい。理解は難しくとも、そういう子もいるんだ と思ってあげてほしいです。
それから、先にあげたような言葉をかけるときは、すこしだけ立ち止まって 考えてみてほしいです。
この起立性調節障害は 良くなります。
しんどいときにも きっと終わりがきます。
こういう症状をもったお子さんを持つお母さんが もしこれを読んでくれていたら、いいなあ。
きっと子は こういうふうに思っています。
怒って引っ張って学校行かせようと思っても、ふさぎ込むだけかなと思います。すこしだけ、寄り添ってあげてください。親だからこそ 難しいのもしれないけれど、お子さんがいちばん解ってほしいのは きっとあなたです。
もしこれを読んでくれているあなたが、こういう症状に悩まされているのなら、終わる日は必ず来るし 解ってくれる人は必ずいます と伝えたいです。すくなくとも、わたしは同じように苦しんだ人間です。
同じように、そうやって苦しんだ人はたくさんいます。あなたがおもうよりずっと、世界は広いんだよ。
学校にいくことだけが あなたのすべてじゃない。
ひろい世界の中の、ちいさな世界にあなたはいて、その中で苦しんでる。もっと、もっと世界は広いから、しんどいときは そのちいさな世界から飛び出してみてください。それは 逃げでも何でもないです。そのちいさな世界だけで すべてを完結させようとしないでね。そして、自分で自分を受け入れてあげてください。自分だけは自分を、疑わないでください。
本当につらいときは学校なんて 行かなくたっていいよ
そんなとこ行かなくても あなたは生きていけるよ
でも身体が 心が楽な日に行ってみたら 案外まわりは、あなたが想像しているようには思ってなかったりするかもしれないよ。
周りが支えてくれることもあるってこと わすれないで
ちいさな世界🌹
R.