ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

おとなこども。

 

 

どうしても心が落っこちて もどってこない

なにか大きな出来事があったわけではない

ちいさな、いや決してちいさくはなく、中くらいなことの積み重ねだったんだとおもう

 

自己嫌悪に押し潰されてしまいそうになる

薄々気がついてはいたが この年末年始、実家にかえったことで それを嫌という程思い知った。

 

HSPだろ っていうことはなんとなく解っていた

初めて知ったときから、少なからず当て嵌るなと認識した、と言うよりもっと適切な表現は、

みんなそういうものだと 疑ってもいなかったから

少数派なのだと知り、衝撃を受けた。が正解かな。

 

 

去年の冬、お仕事帰りに寄ったコンビニの店員さん、たぶん高校生の女の子が、お客のおじさんに 大きすぎる声で怒鳴られていた。

なにが気に入らなかったのか知らんが、ずっと怒っていて、偉い人呼んでこいとか、あほみたいに。

わたしはそれの後ろに並んでいて、わたしが怒られた訳でもないのにどうしてもつらくなって、列に並んだまま泣いてしまった。

わたしは彼女を守ってあげることも出来ず、さいごまで喚き散らして 満足して帰ったオッサンのあと、涙堪えながら彼女は わたしのレジを ちゃんとこなしてくれて、もう心がつらくて、あなたは何も悪くないからね。って言葉だけ、マフラーで顔を隠しながら泣いてる きもちわるい客が伝えるという、変なシチュエーションになってしまった。

高校生の頃、自分も理不尽なことでお客さんに怒鳴られたな。すぐに守ってくれたけど、泣いちゃった。気にしなくていいよ って言ってくれたけど、わたしはしばらく、レジが怖かったこと 思い出した。

 

他人の痛みや気持ちに同調しすぎてしまって 心が引っ張られすぎて、それがたとえフィクションだと解っていても しばらく引き摺ってしまうことは、子どもの頃からずっと変わらない

漫画も映画も 感受性が豊かすぎて、ばかになってるから、刺さりすぎてつらくなって、とても疲れる

だいすきなんだけど、体力がないと観られない

 

もちろん挙げられている点すべてに当て嵌る訳ではないけれど、この世界は生きづらいな くるしいな とおもう瞬間だらけ

 

あと家族に引かれるほど 子どもの頃の記憶がある

親ですら覚えてないことまで覚えてる

それに対し兄はびっくりするほど何も覚えていない

これがそれと関係してるのか解らないけど、この傾向がある人は右脳優先って何かで読んだので きっと関係なくはない 文字じゃなくてイメージで捉えてる

 

あとは口に入れるものに対して 微妙〜に潔癖。

食べ物を共有したり、大皿に盛られた料理について

恋人や仲のいい友達なら 割とストレスなくできるのに、親とはできない。兄とはできる。自分でも線引きがよくわからない。直箸も、回し飲みも。

でもそれを嫌だとはあまり言えないので、我慢することになる。小さくても確実なストレスである。

ちなみに実家は90%の確率で大皿なので、だれよりも最初に自分のお皿に 食べたいものを食べたい分だけ確保することから わたしの食事は始まる。

 

お店のスプーンやお箸が苦手。

エコじゃないけど できるなら割り箸がいい。

ない時は必ず大袈裟なくらい拭く。コップもそう。

ぜんぶ洗いたいけどできないから、せめてもの気持ちで飲み口だけ拭く。ストローは神。安心する。

 

酷いニュースを目にすると、顔をしかめてしまう。

想像して、泣いてしまう時もある。

 

大きな声で話す人がきらいだ。早口すぎる人も。

休みの日に予定がないと、ときどき情報をシャットアウトしたくなる瞬間があって、携帯をみなくなったりする。恋人に心配かける。自分勝手すぎる。

 

大きな音も苦手。

ラクションの音だったり、オフィスの電話の音だったり、映画館の音響でも、しょっちゅう驚いて肩が上がる。びっくりしたあ ってわりと口癖かも。

そうじゃなくて、自分が出したりするのは平気。爆音で音楽聴いて自分の世界に閉じこもるのも、アンプの目の前でギター弾くのも、むしろだいすき。

前者はいつ来るか予測できないから特に苦手なんだな。

 

自分の性格なんだ って受け入れてはいるけど、やっぱりわたしの家族を見渡しても 誰一人そんな人はいない

みんな明るくて、どうにかなるっしょ マインドを持ってる

父親は心配性でせっかち、ちょっと拘りが強い

母親は超タフでポジティブお喋り、所謂肝っ玉かあちゃん

兄は精神も身体もタフ、はっきりしているけど気遣い屋

 

みんなわたしにはないところばかり

わたしは怖がりで くよくよして いじけてばかりで、兄のように強くもなく 面白いことも言えないし、父のように知らない人に優しくしたり 自己管理もできないし、母のように嫌なことがあっても笑い飛ばす強さも持っていない

 

わたしはこんなに暖かい家族に育てられて、お金はなかったかもしれないけど、たしかな愛情を与えられて育った自覚もある

それなのにどうしてこんなふうになってしまったんだろう

 

 

すこし思い当たるとすれば、いい子でいたかったことだとおもう

 

わたしはいい子でいたかった なんでだろうな

子どもの頃は、いい子だね 偉いねすごいねって、褒めてもらえるのが、すべてだと思っていた

怒られることをしちゃいけない理由は、怒られるから だった

そこがそもそも間違っているのに、気づいていなかった

 

100点じゃなきゃ、見せられないと思っていた

100点が当たり前じゃなきゃいけないと思っていた

 

勉強がすきじゃないかも なんて言えなかったというか、そんなはずがないというか、そんなことすら思ってなかった気がする

勉強がすき って言えば、偉いって言ってもらえるから。

 

すこしずつ成長していくにつれて、簡単に100点を取れる あのA3の 無駄に良い紙を使ったテスト用紙ではなくなって、文字もちいさくなって、どんどん難しくなって、明確に躓いた瞬間があった。

それでもわたしは勉強が出来る子であるべきだったから、公文に通いはじめて きっとまたいい子を演じた。

 

無意識につくりあげた、いい子ちゃんを演じ続けていたから、褒められる答えしか用意できなくて、どんどんつまらない人間になっていくのを感じてた。

 

この世界にに神様がいるのだとしたら、だからあのとき わたしに病を与えたのだな とおもう。

神は試練を与えたとか 決してそんなんじゃない。笑

ださいな。ちゅうにか。そんなんじゃないのよ。

 

でも確実に、そのとき 強制的にいい子でいられなくなったことが、今のわたしに繋がっている。

学校にいけない 勉強ができない 遅れる、

今まででは考えられなかった。

自分はいい子じゃなくなったのなら、どうすればいいか解らなかった。

 

 

いまはすこし良くなったけど、まだまだいい格好しいなところを自覚していて、おもしろいって言われるの 本当はすごく嬉しいのに、かわいくみられたい気持ちが抜けなくて、アイドルのお手本みたいな答えしちゃって、それをプロのように突き通せる訳でもないから、途端につまんないやつに成り下がる。

 

本当の自分を表現することよりも、よくみられたい気持ちが勝ってしまうことが 人生であまりに多かった。本当に嫌になる。

 

わたしは、たすけてが言えない。

だめな面を人に見せられない。

人より悲観的になりやすい癖に、それが言えない。

ぜんぶひとりで考えて、泣いて、何も話さない。

話すとしたら、時間が経ったあと、答えがでたあと。だからこそ大切な人を困らせてしまうし、つらくさせる。もっと頼ってよ って、泣かせてしまったこともある。

そんなの自覚しているのに、それすら受け入れてくれると 信じているはずなのに、いざそういうときになると、やっぱり言えなくて、おなじことを繰り返している。

 

いまもそう。実家が、ストレス。

こんなこと誰にも言えなくて、くるしい。

こんなに優しくて強くて、暖かい家庭に育って、こんなことを思っていいわけがないのに。

 

今どうしても、自分が最低でしかたがないとおもう。こんなにしあわせに生きてきたはずの自分が、どうしてこんなこと思えるのだろうか。

 

 

実家に帰ると、

あたりまえだが、お風呂もトイレも 人のタイミングをみないといけない。人の生活音で眠れなかったりもする。

自分の部屋に篭っても、どうしたのって訪れてきて、干渉されてしまうこともあったりする。

母はそのとき、ノックと同時にコンコン と口で言いながら躊躇せずに入ってくる。そこに許可はない。

夜は 母親が開く愚痴大会のサンドバックになる。

友達と遊んできたら、今日は誰と遊んできたの と必ず聞かれるし、

みたい番組を観ていても 父はなんの悪気もなくチャンネルを変えるし、

昼まで起きてこないと、ごはんだよと起こされる。

お腹がすいていなくても自動で 3食ご飯が出てくる。

あんたたちに食べさせたかった ってわたしたちの好物を用意してくれる。

いらないなんて言えないから、我慢して食べる。

食べても食べても 次が出てきて終わらない気さえして来る。

喜ぶと思って準備してくれたものを 我慢して食べている事実に、申し訳なくて いろんな気持ちが混ざって、泣いてしまいそうになる

 

こんなに恵まれているのに、最低だよ

自分のペースを乱されることがこんなにストレスだったなんて、自己中心的にも程がある。

今のわたしはお腹が空かないとごはんをたべないから 1日1食になることもあたりまえだし、休みの日は 朝に眠ってお昼に起きるのがあたりまえ。

数年前まで住んでいた家なのに。

どうしてこんなにも かなしくなるんだろう。

 

帰省最終日、父親の優しさをお節介に感じて、大きな声で話す父をうるさいと感じてしまって、すこしつめたい態度をとってしまった。

あと何回会えるのか、あと何回一緒にごはんを食べられるかなんて、わからないのに。

 

もっと帰ってきなよ 全然帰ってこなくなっちゃって寂しいって言われる度、胸がいたい

こんなことを思ってしまっている自分が心底嫌い。

 

ひとりの家に戻ってきて、安心して泣くなんて、最低だ。

こんなの、しんでも家族には言えない。言わない。

 

 

 

わたしはずっと、たぶん、生きたいという気持ちが薄い。明日おわっても、それもいいとおもう。

色んなことに小さな絶望を繰り返して、大人になって、知りたくもないことばかり耳に入る世界に、未練があまりない。

 

大切な人もいるし、友達も、家族も、大切。

そういう人たちを傷つけたくないから、生きてる。

生きてるというより、おわらせてない に近いのかも

 

だからね、両親が生きているうちは 生きていると思うけど、それがなくなったら、わたしは解らない。

自分でも解らない。

 

それまでに自分が親になっていたりしたら、また変わるんだろうな。でも今は、解らない。

 

すきなものがないわけじゃない。

この世に絶望しきっている訳でもない。

 

美味しいものをたべたいし、漫画の続きも気になるし、すきなバンドの新譜も聴きたいし、来春公開予定のあの映画もみたい。ライブにも行きたい。

好きな人には会いたいし、抱きしめたい。抱きしめられたい。

 

それでも、これだけあっても、そうおもう。

理由には、なれない気がしてしまう。

これらに未練を感じきれない自分がわるいのかな。

 

預金はぜんぶ兄にあげたいな

服や趣味のものはすきに持って行って欲しいけど、思い出のトリガーになってしまうかもしれないから、やっぱりぜんぶ売ってお金にかえて、みんなで美味しいものでもたべてほしいな

 

それくらい、未来に期待がない

そんな自分が、大切な人なんてつくっていいのかな

この人の未来にわたしがいる可能性が、こわいのに、どこか少したのしみで、そうであればいいのに ともおもってしまう

 

どっちが勝つかな

そのときまでわかんないな

 

人生ってこうやってできてるのかな

自分だけがつらいなんて思わないけど、あまりにも理解し難いことで溢れすぎているよ

本当に素敵なことがあるのも、知っているのよ

それでもやっぱり 生きづらいなって思う瞬間の方が、圧倒的におおいんだ

 

もしかしてこんなきもちだったのかな、はるまくん

わたしなんかよりもっと背負うものも まわりの期待もあって、比べられるようなものではないけれど。

 

もし、もしいつかわたしに子どもが生まれたとしたら、いい子だねって、言い過ぎないようにしよう。

 

 

これもきっと、

所謂アダルトチルドレンっていうやつなんだろうな。

両親はアル中どころかお酒は一滴も飲まないけれど。

 

いやになるな。

 

いやになるよ。