ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

白昼夢。

遠くに感じる 希望やちいさな夢、期待よりも

近くにある ちいさな絶望の繰り返しや壁、悩みが

あまりにも あまりにも



狂ったように襲いかかる普通の日々に
負けそうになる日も あるよなあ

いつかしたいこと、ちいさな夢、1ヶ月後の予定、
ぜんぶ本当にたのしみだとおもう

でもそれが もっとそばにある黒いものに
勝てない日がくる気がしている いつの日か


それは釈然としないものでもあり はっきりしたものでもあり
どちらにしよ心が曇る出来事であり
それはとても大きいことかもしれないし、とても小さなことかもしれない 誰にとって


そんなこと考えたら こわくて眠れないね



いつまでたってもこのまま 生きづらいんだな

おとなこども。

 

 

どうしても心が落っこちて もどってこない

なにか大きな出来事があったわけではない

ちいさな、いや決してちいさくはなく、中くらいなことの積み重ねだったんだとおもう

 

自己嫌悪に押し潰されてしまいそうになる

薄々気がついてはいたが この年末年始、実家にかえったことで それを嫌という程思い知った。

 

HSPだろ っていうことはなんとなく解っていた

初めて知ったときから、少なからず当て嵌るなと認識した、と言うよりもっと適切な表現は、

みんなそういうものだと 疑ってもいなかったから

少数派なのだと知り、衝撃を受けた。が正解かな。

 

 

去年の冬、お仕事帰りに寄ったコンビニの店員さん、たぶん高校生の女の子が、お客のおじさんに 大きすぎる声で怒鳴られていた。

なにが気に入らなかったのか知らんが、ずっと怒っていて、偉い人呼んでこいとか、あほみたいに。

わたしはそれの後ろに並んでいて、わたしが怒られた訳でもないのにどうしてもつらくなって、列に並んだまま泣いてしまった。

わたしは彼女を守ってあげることも出来ず、さいごまで喚き散らして 満足して帰ったオッサンのあと、涙堪えながら彼女は わたしのレジを ちゃんとこなしてくれて、もう心がつらくて、あなたは何も悪くないからね。って言葉だけ、マフラーで顔を隠しながら泣いてる きもちわるい客が伝えるという、変なシチュエーションになってしまった。

高校生の頃、自分も理不尽なことでお客さんに怒鳴られたな。すぐに守ってくれたけど、泣いちゃった。気にしなくていいよ って言ってくれたけど、わたしはしばらく、レジが怖かったこと 思い出した。

 

他人の痛みや気持ちに同調しすぎてしまって 心が引っ張られすぎて、それがたとえフィクションだと解っていても しばらく引き摺ってしまうことは、子どもの頃からずっと変わらない

漫画も映画も 感受性が豊かすぎて、ばかになってるから、刺さりすぎてつらくなって、とても疲れる

だいすきなんだけど、体力がないと観られない

 

もちろん挙げられている点すべてに当て嵌る訳ではないけれど、この世界は生きづらいな くるしいな とおもう瞬間だらけ

 

あと家族に引かれるほど 子どもの頃の記憶がある

親ですら覚えてないことまで覚えてる

それに対し兄はびっくりするほど何も覚えていない

これがそれと関係してるのか解らないけど、この傾向がある人は右脳優先って何かで読んだので きっと関係なくはない 文字じゃなくてイメージで捉えてる

 

あとは口に入れるものに対して 微妙〜に潔癖。

食べ物を共有したり、大皿に盛られた料理について

恋人や仲のいい友達なら 割とストレスなくできるのに、親とはできない。兄とはできる。自分でも線引きがよくわからない。直箸も、回し飲みも。

でもそれを嫌だとはあまり言えないので、我慢することになる。小さくても確実なストレスである。

ちなみに実家は90%の確率で大皿なので、だれよりも最初に自分のお皿に 食べたいものを食べたい分だけ確保することから わたしの食事は始まる。

 

お店のスプーンやお箸が苦手。

エコじゃないけど できるなら割り箸がいい。

ない時は必ず大袈裟なくらい拭く。コップもそう。

ぜんぶ洗いたいけどできないから、せめてもの気持ちで飲み口だけ拭く。ストローは神。安心する。

 

酷いニュースを目にすると、顔をしかめてしまう。

想像して、泣いてしまう時もある。

 

大きな声で話す人がきらいだ。早口すぎる人も。

休みの日に予定がないと、ときどき情報をシャットアウトしたくなる瞬間があって、携帯をみなくなったりする。恋人に心配かける。自分勝手すぎる。

 

大きな音も苦手。

ラクションの音だったり、オフィスの電話の音だったり、映画館の音響でも、しょっちゅう驚いて肩が上がる。びっくりしたあ ってわりと口癖かも。

そうじゃなくて、自分が出したりするのは平気。爆音で音楽聴いて自分の世界に閉じこもるのも、アンプの目の前でギター弾くのも、むしろだいすき。

前者はいつ来るか予測できないから特に苦手なんだな。

 

自分の性格なんだ って受け入れてはいるけど、やっぱりわたしの家族を見渡しても 誰一人そんな人はいない

みんな明るくて、どうにかなるっしょ マインドを持ってる

父親は心配性でせっかち、ちょっと拘りが強い

母親は超タフでポジティブお喋り、所謂肝っ玉かあちゃん

兄は精神も身体もタフ、はっきりしているけど気遣い屋

 

みんなわたしにはないところばかり

わたしは怖がりで くよくよして いじけてばかりで、兄のように強くもなく 面白いことも言えないし、父のように知らない人に優しくしたり 自己管理もできないし、母のように嫌なことがあっても笑い飛ばす強さも持っていない

 

わたしはこんなに暖かい家族に育てられて、お金はなかったかもしれないけど、たしかな愛情を与えられて育った自覚もある

それなのにどうしてこんなふうになってしまったんだろう

 

 

すこし思い当たるとすれば、いい子でいたかったことだとおもう

 

わたしはいい子でいたかった なんでだろうな

子どもの頃は、いい子だね 偉いねすごいねって、褒めてもらえるのが、すべてだと思っていた

怒られることをしちゃいけない理由は、怒られるから だった

そこがそもそも間違っているのに、気づいていなかった

 

100点じゃなきゃ、見せられないと思っていた

100点が当たり前じゃなきゃいけないと思っていた

 

勉強がすきじゃないかも なんて言えなかったというか、そんなはずがないというか、そんなことすら思ってなかった気がする

勉強がすき って言えば、偉いって言ってもらえるから。

 

すこしずつ成長していくにつれて、簡単に100点を取れる あのA3の 無駄に良い紙を使ったテスト用紙ではなくなって、文字もちいさくなって、どんどん難しくなって、明確に躓いた瞬間があった。

それでもわたしは勉強が出来る子であるべきだったから、公文に通いはじめて きっとまたいい子を演じた。

 

無意識につくりあげた、いい子ちゃんを演じ続けていたから、褒められる答えしか用意できなくて、どんどんつまらない人間になっていくのを感じてた。

 

この世界にに神様がいるのだとしたら、だからあのとき わたしに病を与えたのだな とおもう。

神は試練を与えたとか 決してそんなんじゃない。笑

ださいな。ちゅうにか。そんなんじゃないのよ。

 

でも確実に、そのとき 強制的にいい子でいられなくなったことが、今のわたしに繋がっている。

学校にいけない 勉強ができない 遅れる、

今まででは考えられなかった。

自分はいい子じゃなくなったのなら、どうすればいいか解らなかった。

 

 

いまはすこし良くなったけど、まだまだいい格好しいなところを自覚していて、おもしろいって言われるの 本当はすごく嬉しいのに、かわいくみられたい気持ちが抜けなくて、アイドルのお手本みたいな答えしちゃって、それをプロのように突き通せる訳でもないから、途端につまんないやつに成り下がる。

 

本当の自分を表現することよりも、よくみられたい気持ちが勝ってしまうことが 人生であまりに多かった。本当に嫌になる。

 

わたしは、たすけてが言えない。

だめな面を人に見せられない。

人より悲観的になりやすい癖に、それが言えない。

ぜんぶひとりで考えて、泣いて、何も話さない。

話すとしたら、時間が経ったあと、答えがでたあと。だからこそ大切な人を困らせてしまうし、つらくさせる。もっと頼ってよ って、泣かせてしまったこともある。

そんなの自覚しているのに、それすら受け入れてくれると 信じているはずなのに、いざそういうときになると、やっぱり言えなくて、おなじことを繰り返している。

 

いまもそう。実家が、ストレス。

こんなこと誰にも言えなくて、くるしい。

こんなに優しくて強くて、暖かい家庭に育って、こんなことを思っていいわけがないのに。

 

今どうしても、自分が最低でしかたがないとおもう。こんなにしあわせに生きてきたはずの自分が、どうしてこんなこと思えるのだろうか。

 

 

実家に帰ると、

あたりまえだが、お風呂もトイレも 人のタイミングをみないといけない。人の生活音で眠れなかったりもする。

自分の部屋に篭っても、どうしたのって訪れてきて、干渉されてしまうこともあったりする。

母はそのとき、ノックと同時にコンコン と口で言いながら躊躇せずに入ってくる。そこに許可はない。

夜は 母親が開く愚痴大会のサンドバックになる。

友達と遊んできたら、今日は誰と遊んできたの と必ず聞かれるし、

みたい番組を観ていても 父はなんの悪気もなくチャンネルを変えるし、

昼まで起きてこないと、ごはんだよと起こされる。

お腹がすいていなくても自動で 3食ご飯が出てくる。

あんたたちに食べさせたかった ってわたしたちの好物を用意してくれる。

いらないなんて言えないから、我慢して食べる。

食べても食べても 次が出てきて終わらない気さえして来る。

喜ぶと思って準備してくれたものを 我慢して食べている事実に、申し訳なくて いろんな気持ちが混ざって、泣いてしまいそうになる

 

こんなに恵まれているのに、最低だよ

自分のペースを乱されることがこんなにストレスだったなんて、自己中心的にも程がある。

今のわたしはお腹が空かないとごはんをたべないから 1日1食になることもあたりまえだし、休みの日は 朝に眠ってお昼に起きるのがあたりまえ。

数年前まで住んでいた家なのに。

どうしてこんなにも かなしくなるんだろう。

 

帰省最終日、父親の優しさをお節介に感じて、大きな声で話す父をうるさいと感じてしまって、すこしつめたい態度をとってしまった。

あと何回会えるのか、あと何回一緒にごはんを食べられるかなんて、わからないのに。

 

もっと帰ってきなよ 全然帰ってこなくなっちゃって寂しいって言われる度、胸がいたい

こんなことを思ってしまっている自分が心底嫌い。

 

ひとりの家に戻ってきて、安心して泣くなんて、最低だ。

こんなの、しんでも家族には言えない。言わない。

 

 

 

わたしはずっと、たぶん、生きたいという気持ちが薄い。明日おわっても、それもいいとおもう。

色んなことに小さな絶望を繰り返して、大人になって、知りたくもないことばかり耳に入る世界に、未練があまりない。

 

大切な人もいるし、友達も、家族も、大切。

そういう人たちを傷つけたくないから、生きてる。

生きてるというより、おわらせてない に近いのかも

 

だからね、両親が生きているうちは 生きていると思うけど、それがなくなったら、わたしは解らない。

自分でも解らない。

 

それまでに自分が親になっていたりしたら、また変わるんだろうな。でも今は、解らない。

 

すきなものがないわけじゃない。

この世に絶望しきっている訳でもない。

 

美味しいものをたべたいし、漫画の続きも気になるし、すきなバンドの新譜も聴きたいし、来春公開予定のあの映画もみたい。ライブにも行きたい。

好きな人には会いたいし、抱きしめたい。抱きしめられたい。

 

それでも、これだけあっても、そうおもう。

理由には、なれない気がしてしまう。

これらに未練を感じきれない自分がわるいのかな。

 

預金はぜんぶ兄にあげたいな

服や趣味のものはすきに持って行って欲しいけど、思い出のトリガーになってしまうかもしれないから、やっぱりぜんぶ売ってお金にかえて、みんなで美味しいものでもたべてほしいな

 

それくらい、未来に期待がない

そんな自分が、大切な人なんてつくっていいのかな

この人の未来にわたしがいる可能性が、こわいのに、どこか少したのしみで、そうであればいいのに ともおもってしまう

 

どっちが勝つかな

そのときまでわかんないな

 

人生ってこうやってできてるのかな

自分だけがつらいなんて思わないけど、あまりにも理解し難いことで溢れすぎているよ

本当に素敵なことがあるのも、知っているのよ

それでもやっぱり 生きづらいなって思う瞬間の方が、圧倒的におおいんだ

 

もしかしてこんなきもちだったのかな、はるまくん

わたしなんかよりもっと背負うものも まわりの期待もあって、比べられるようなものではないけれど。

 

もし、もしいつかわたしに子どもが生まれたとしたら、いい子だねって、言い過ぎないようにしよう。

 

 

これもきっと、

所謂アダルトチルドレンっていうやつなんだろうな。

両親はアル中どころかお酒は一滴も飲まないけれど。

 

いやになるな。

 

いやになるよ。

 

 

 

 

 

教室っていう 狭い世界。

 

 

物思いに耽ける、なんてかっこいい言い方だけど

考えごとをしていたら いろんなところに思考が派生して

学生時代に感じていた、息がしづらい感覚を思い出した

 

 

他人のあることないこと話すやつとか、

それを人から聞いただけで信じて 勝手に嫌うやつとか、

誰かのことを落としてまで 自分が好かれようとするやつとか、

誰々が悪口言ってたよって ご丁寧に本人に伝えるやつとか、

 

本当にしょうもない  そういう空気がずっとあった

そんなことして好かれて 本当にうれしいのかね

仲間の空気に流されるやつの多さに びっくりした

他人の評価が気になることは解るし、特にそういう時期なのも、通ってきたから全員よく解るとおもうけど

「誰かが言ってたから」っていう空気、本当に嫌いだった

直接自分がされたことだけを信じろよな

 

誰と誰が仲良くたっていいだろ、

誰と誰が付き合っていたっていいだろ、

仲良い=付き合う、っていう方程式しか頭ん中にないのか?

話してるだけなのに そういう風に捉える風潮

 

そんなことしか話題にないやつらの話なんて1ミリもおもしろくなくて、へ〜って言いながら、嫌気がさして全部捨てたくなったりして

なるべくはやく 帰り道で親友たちと、そういうことなんかじゃなくて、そんなことなんかと比べものにならないほど、くだらなくて最高な話をしたいってことだけが 心の拠りどころだったな

 

今でも信頼出来る友達、ずっと付き合っていたい友達、

その中で そうやってちゃんと出来たから、

わたしは幸せものなんだとおもう

 

 

きっと誰もが少なからず感じていた感覚だとおもうが

うまく言葉に出来ないな 思春期といえばそれまでか

 

おとなに近づいていくたび、

そういう狭い世界からどんどん視界が開けていって

人間関係を自分でえらべるようになって

やなやつと上手くやる必要も減ってきて

人との関係を 簡単に線引きできるようになって

 

そういう息苦しさは 気づいたら薄まっていたな

 

 

他人の評価がきになることもわかるし、

だけどそういう次元だけで生きていたら

つまらない人間になっていくなって感覚があって、

当時のわたしに伝えることなんて何もないけど、

ただ、それでいいよってことだけは 思うかな

 

 

当時のわたしが、ばからしいことを ちゃんと、

からしいと思える人間でいてくれてよかった

 

達観したつもりになるのも違うんだが、

しょうもない話と空気には それ相応の対応で十分って話

同じ温度で付き合ってやる必要はないってだけの話

 

 

学生の情熱には 眩しい目を伏せて微笑みを。

 

 

中学時代を思い返すと、

懐かしさと息苦しさが、いつも同時にやってくる気がする

 

大人になっちゃったんだな

 

 

R.

 

 

 

 

 

なかなか開けられない瓶の蓋みたいなもの

 

 

 

なにか特別なことがあった訳でもないのに

心がおちこんで 暗闇からぬけだせないときくらい

誰にだってあると信じている

 

そんなときに、誰かにすぐ頼れる人がうらやましい

これは本当に馬鹿にしているとか そういうのではなくて

心から すごいなあとおもう それが自然にできる人。

誰かに心ごと抱きしめてもらえたら っておもうよね

きっと抱きしめてもらえたら あったかくて軽くなるんだ

わたしもそうおもう でも それが言えない

人に頼ることの難しさを年々感じているところです

 

どんなに心を開いている人にも

ここは見せちゃいけない領域だ とすぐ線をひいてしまうからいつも、ひとり殻に籠って 一旦すべての思考がだめになる

 

落ちて落ちて、自分のことがとてもいやになる

いつも一緒にいてくれる人たちのこと わたしはだいすきだから、だからこそこんな自分となんて一緒にいてほしくないと思ってしまう

もっとしあわせでいてほしいと思ってしまう

 

だから時々、怖いくらい最低な自分が

大切なひとの手を 簡単に放そうとする

 

 

こうなるときはいつも決まって 誰とも連絡を取らないようにしてしまう たとえ恋人であっても それはつまり無駄な心配をかけたくないからなんだけども

 

でも完全に隠せるほど大人ではないから、

結局多少なり心配をかけてしまうことがなやみだ

 

 

 

もっと上手く隠し通せるくらいおとなになりたい

 

それか、素直にたすけてが言えるようになりたい

 

きっと大切なひとが願ってくれるのは

後者なんだろうな

 

 

 

わたしには勿体ないくらいの友達と恋人がいてくれる

その事実に感謝し続けて あたりまえとおもわず

生きていかなきゃいけないな

 

 

きれいごとかな

 

 

R.

 

 

 

マンザラデモナイクセニ。

 

 

 

感情っていそがしいよね

 

しあわせだな と感じた瞬間、地に堕ちたりする

 

なんだろ わたしはどうしたいんだろ

聞きたくないしな でも知らないふりもできないしな

 

結局はどうせ ってなってしまうことも

世の中の嫌なところも かなしいところも

全部結局そんなものかっておもってしまうことも

 

信じていたものが脆く崩れることも

 

生きていれば当たり前なのかな

 

 

それでもいいやって思える日と

やっぱり どうせってしか思えない日と

 

 

解んなくなりそう

 

どうでもよくなれたら楽なのかな

でもそれで感じるものってほんとに欲しいものかな

 

 

眠れない夜

 

あしたも仕事

 

 

 

羽根のない生き物が飛べたのは。

 

片道2時間の距離

今すぐ会いたいとおもっても そう簡単に叶わない距離

 

遠くにいたときは、この距離に文句も言わず

運転好きだから全然大丈夫だよ、

どこにいても会いに行くよ って言ってくれた人

 

 

 

でも今こうして近くになって

思い立った瞬間、20分とすこしあれば着くようになった

 

近くにきてくれてほんとにうれしい

ってにこにこ笑いながら話す君が愛おしかった

 

「前は気合い入れないといけない距離だったからなあ」って

ふと零した言葉に なんだか胸がくるしくなった

 

遠くにいるときは、そんなこと一言も言わなかったね

でもその通りだよね 簡単なことじゃなかったよね

 

1年半もの間、往復4時間の距離を通い続けてくれて

会いたいからって気持ちだけで 時間と体力を使ってくれて

 

それを当たり前なんておもいたくなかったけど

すこし慣れてしまってはいたな、と 反省だな

 

 

そうやってひとつひとつのこと、

君がこぼしてくれた本音をたいせつにしたいとおもった

 

誕生日の夜明け

 

 

R.

 

 

 

 

 

気づかれないように込めた優しさも気づかれたかった。

 

 

ずっと感じていたちいさな綻びは なかったことにはならなくて

いつの日か限界がくることも 頭では理解しているつもりで

それでもやっぱり 選ぶことはこわいし 簡単じゃない

 

3月の終わり、自分がわからなくなるほど追い詰められている中

ほしい言葉をほしがった あの日の気持ちも本物であって

気がつけば 世の中が少しずつ変わっていってしまって

会いたい人にも会えない世界がやってきた

 

 

その日から4月の終わりまで、1ヶ月間

もらった言葉の意味を、時間があるだけかんがえた

心がいたくて悲鳴をあげそうな日もあった

自分の弱さに飽き飽きしたし、

 

 

やっぱり1人でも生きていくことはできるんだよ

ただそれが豊かかどうか は別であって

会いたい人がいるってしあわせなことで

抱きしめてほしい人に抱きしめてもらえるなんて、この世にこれ以上のことはないのかもしれないなって

考えてしまうような期間です。

 

 

大切だとか、そばにいる意味だとか、先のこととか、

たくさんたくさん悩んで、やっと やっと選んであげられる

そうおもったとき 気づいたら隣にいた

どんな顔すればいいかわからなかった

それでもやっぱり 抱きしめて愛を伝えてくれた

 

驚いた こんなことになるなんて思ってなかった

傷つけたし傷ついた 悲しいおもいをたくさんした

 

 

結局、また支えられてしまった

 

前と同じように とはならなくなっている感覚はある

でも、前よりもっと 自然になれた気もする

 

そういう時期を過ぎて ちょっと関係性が変わって

でも大事だから 常に一緒ではなくていい

 

ずっと一緒にいたい って長い目でみればきっとそうだけど

四六時中離れたくない とはちがっている

いいきっかけだったのかもしれないな

 

結局は大切だってことに気付かされた 4月でした。

 

未だによくわかんないよ

でもいま一緒にいることをまた選んでる 選びあってる

 

それでいいんかなっておもう

未熟者ですね

 

だってさ、やっぱりいっしょがいいよ

隣はきみがいいよ

 

 

 

引っ越して、距離が近くなった

あたらしい部屋に迎えに来た君が 運転しながらうれしそうに「これからはなんだってできるね、すきなラーメン屋さんも、お好み焼き屋さんも、ぜんぶ連れていくから食べに行こうよ。夜中にだってあそびにいけるね。いつでも会いに来れるね。」って言うからさ

わたしは ああ よかったなっておもってしまう

そうおもった瞬間、心がするする解けていった

 

今までこんなに遠いのに 会いに来てくれてたんだな

解ってたつもりだけどやっぱり 簡単ではなかったよな

全部もっと大切にしよう 感謝してもしきれないな

 

 

 

中学時代の部活、わたしがもし小学校から続けていたものと

同じものを選んでいたら きっと高校でも続けていたとおもう

そうなると きっとちがう高校に行っていたな という話をしたら

「そしたら出会えてなかった 考えるだけで恐ろしい」

と、怖がるあなたが愛おしいとおもった

 

運命だ っておどけるあなたが すきだとおもった

そんなふうに素直に言えるあなたが 素敵だとおもった

 

 

わたしももっと返していかないとな

 

長い夜 短い春。

 

もうすっかり夏に近づいてるね

 

 

R.