ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

Cool と Fool は すこし似てる。

 

 

好きなバンドの新譜が出た。今日 突然。

この人たちには いつまでもわくわくする。

わくわくさせてくれる。ありがとうでいっぱい。

 

更にツアーが発表された。会いたい。

あなたの声が聴きたい。唄が聴きたい。

愛おしそうに演奏する姿を 目に焼き付けたい。

 

 

もしもわたしが 音楽を好きにならなかったなら

小学校3年生のときに あのCDを手に取らなければ

いまのわたしは 絶対にいないだろう 言いきれる

 

いろんな感じ方 考え方 受け取り方 発想の自由

歪んだ思考 何よりも澄み切った純粋なことば

汚い部分 綺麗な心 選ぶ言葉 その使い方 詩 文学 

メロディの流れ コード進行 その他諸々いろんなもの

学んで来なかっただろうし 考えもしなかっただろう

 

自分の核になるもの えらんできたもの 生きる意味

わたしをつくる色んなものに 影響を与えてくれた

 

これはすべて たらればの話になってしまうけれど、それでも 思いつくだけでこんなにも こんなにもわたしの人生に彩を与えてくれていること 解る

 

 

もし音楽を好きでなかったのならば、仮に好きだとしても 熱烈に心動かされていなければ、きっと、洋服 メイク そういった自分を着飾るものに いちばんお金を注ぎ込んでいたでしょう

 

今わたしが すきな音楽に費やしているお金で、洋服を買ったり 化粧品を買ったり 美容にお金をかけていたはず

そういったものが 多少なりとも我慢して 後回しにしてもいいと思えるほど、音楽がいちばんすきで 大事だ

 

だから、生活が苦しくても音楽を聴くし

ライブに行くことをやめない やめられない

 

生きる意味の 大きなひとつになっているから。

大袈裟なんかでもなく、まだ死ねない と良く 思う。

 

 

CD 映像作品 FC会費 ライブ 舞台 交通費など

もちろん、どれもお金がかかるもの

 

でもそうやってお金を払うことが、好きなバンドやアーティスト、アイドル達に対する 最大の敬意である とわたしは考えている

(もちろん正当な金額を公式に ね

 チケットの高額転売は 断固反対です)

 

 

SNSが発達して、便利な時代になった

すきなアーティストの発信する日常やお知らせを、誰でも気軽に見ることができる今の時代、存在を勝手に近くに感じてしまっている人が 多いように思う

 

気軽にリプライを送ることが出来るし、コメントを残すことが出来るし、そんな自分の言葉を 好きな人が見てくれるかもしれない すごいことです

 

でもだからといって 馴れ馴れしく話すのは なあ と。

誰からでも 好きな人からでも見えるからこそ、

好きだからこそ そう思います。

 

あんたの友達じゃあ ないよ と言いたくなる。

 

言わないけど。

 

 

人に対しての敬意って大切

 

スキでも キライでも

 

 

 

そんな話。

 

新譜とツアーに わくわくして眠れない夜の日記。

 

しあわせなことだね 感謝やなあ

 

今宵もキャンドルがゆらゆら揺れる

 

 

 

R. 🕯

 

 

 

愛情の罠。

 

 

おはようございます 

これ書いてるいま 2017/4/16 AM 05:35 天気は晴れ

朝はやいですね でもわたしにとっては 長い夜でした

 

4月も真ん中を過ぎました はやいなあ

ブログの存在わすれてた 思い出したように殴り書く

 

かなり暖かくなりました 過ごしやすいにも程がある

空気が春からすこしずつ 夏の匂いにかわった気がする

 

もう桜もだいぶ散って 葉桜が目立ちます

今年は桜が一斉に咲いて 壮観でしたね

ちゃんとお花見したかったなあ

公園でシートひいたりして 美味しいもの食べたり飲んだりなんかしちゃって ふざけて笑ったりしたかったな

 

桜はなんだか儚くてせつないですね 毎年おもう

とても綺麗ですきだけれど 短い見頃 散る速度

 

 

きのうの夜中 仕事からの帰り道、ふと見上げたら

桜の木からはなびらが もうだいぶ散っていて

iPodからは宝石になった日が流れてきて

なんだか無性に 無性にせつなくなって すこしないた

 

悩むこともおおければ 不安も多い時期ですが

わたしはわたしなりにがんばろう と思った今日です

人としてちゃんとしたい 夏までには独り立ちしたい

 

 

 

ああ やりたいことたくさんだ

観たいものも 聴きたいものも 体験したいことも

非現実的なものもあわせれば 溢れるほど思いつく

 

人生長いようで短いのかもね

わたしはまだ それを知らんけど

 

死ぬときそう 想えたらいいなっていう はなし

 

 

抽象的 愛の罠 はまる

 

世の中トラップだらけ

 

 

R. 🌸

 

 

 

春はぜんぶ。

 

 

 

やわらかい季節ですね。すきです。

それと同時に さみしい季節ですね。

 

ご近所さんのあるお庭に 木蓮が咲いていました

真っ白な木蓮は綺麗だなあ とっても立派でした

 

桜はもうすぐかな? 満開になるのがたのしみだ

でもなんだか桜ってなんだか すごくせつなくなる

 

 

だんだん暖かい日も増えてきましたが

今日は寒かったあ ふつうにまだ冬でした

 

はやくあたたかくならないかなあ、とか思いつつ

この寒さと別れるのもさみしいです。

暑いのニガテだから 溶けるから

 

でも春服はやく着たいし 買いたいから

春はやくこい あったかくなれ ずっと春ならいいのに

 

 

春のお洋服はかわいいから つい買いたくなっちゃう

暖かくなってくると おしゃれもたのしいよなあ

でもそんなに着る期間は長くないんよなあ せつない

 

 

 

またこうやって暖かい季節が来て 夏になって

すこしずつ涼しくなってきて 冬になって

季節がめぐる 本当に1年は早いものだなあ と

 

 

歳をとる度 季節を感じることのすばらしさ、

季節の草木や 花や 自然に 感動する日々です

 

月が綺麗だとか 海が雄大だとか 空の移り変わりとか

自然の脅威とか そういうものには かなわないな と

日々 思い知らされる

 

地球 宇宙

 

人間は 生かされているな と

 

 

ああ おなかすいた

 

今日も生きてるねえ

 

 

 

R. ☄

 

 

 

ランデヴー。

 

 

昔、どこまでいってもお月様がついてくること

不思議で なんだか怖かった記憶があります。

わりと大きくなってもそんなふうに思ってたな

 

だって、どこまで歩いても 走ってもついてくるし

よし もうここまでくれば大丈夫 うまく隠れたぞって

安心していても ふと空を見上げてみると もう

わたしの上でこっちみてるんです いつも いつでも

 

 

それから

 

テレビから流れてくる「都内某所」という単語は、

都内に「某所」という地名がある と思っていたし

 

ニュースから聞こえてくる「汚職事件」は

ずっと「お食事券」だと思っていたし

 

同じくニュースから聞こえる「相次いで」という言葉

これも「あいつい」という場所があると思っていた

 

あいつい で なにか事件が起きた と言うから

あいつい という場所はとても怖い場所なのだと

ずっと思い込んでいました これ本当です

 

 

なんか 脳天気なこどもやったんかな

頭ん中 お花畑やったんかな

こう考えると 子どもの考えることはメルヘンですね

 

 

 

真夜中のランデヴー。

 

 

 

R. 🦄

 

 

 

 

ロマンティックあげるよ。

 

 

きがついたら3月も真ん中に近づいてきた

はやいなあ 3月のライオン公開まであとすこし

 

 

俺節のビジュアル 発表されましたね

きのうは制作発表も行われました

WSに容量を取られる毎日です 

 

32歳という年齢になって、人としての魅力がどんどん増している。昔から変わらず まっすぐストイックに 何事にも一生懸命なところと、最近はそこに色気も纏って 大人の魅力で光っているから、「俺節」という作品がこのタイミングで章ちゃんに来たこと、とても意味のある出会いだなあ と勝手に思っております。

 

安田章大という男の いままでの生き様すべてで表現する、そんな覚悟がみえる作品になるような気がしています。舞台「俺節」。楽しみでしかない。

 

関ジャニ∞というグループでデビューして、順風満帆とは言えない時代もたくさん過ごしてここまできて、でもその時代があったからこそ今の彼がいて、たくさんの痛みを知って、優しさを知って、人の前では絶対に折れない人。感受性が豊かだからこそ しんどいこともたくさんあるだろうなあ。

わたしはアイドルのそういうところに弱い。

かっこいい。努力の生き様。みせないところ。

 

すべてを含めて彼という人間がすきで 尊敬している

人として尊敬できるところがたくさん

 

海や空とか 自然に感謝しているところも

話している人の目を見て 話を聞くところも

毎日きちんと ひとりひとりに挨拶するところも

ご飯を食べる時は必ず 帽子を脱ぐところも

どんなに近しい人にも礼儀を忘れないところも

困っている人がおったら手を差し伸べることも

人のいいところも わるいところも すべてまるっとまとめて愛することが出来る器も

仲間の悪いところはしっかり伝えられるところも

優しさを履き違えず きちんと人に怒ることができる優しさを忘れないところも

 

他にも もっともっと たくさんあるけれどキリがない

 

すべてあたりまえのように感じるけれど、あたりまえすぎてやらなかったり、忘れてしまったり、それがなかなかできなかったりする。

そういう小さな積み重ねを忘れずにいる彼がすきだ

 

 

そんな今の彼が まっすぐにぶつかる「俺節

すばらしいものになる 予感しかしません。

 

ありがたいことに チケットは知り合いが用意してくれたので、どうにか どうにかして6月 平日に大阪 いけるように調節していきます。6月。

 

ああ たのしみだ。 ああ すきだ。安田章大

 

 

 

R. 💙

 

 

なくしたものを数えるよりも。

 

 

今あるものを数えよう とよくいうけれど

 

やっぱりなくしたものを数える ということを 否定してしまうのはちがうなあ と感じているこの頃です。

 

たしかに 今あるものを大切にすることは、とても とても大切で、過去にばかり縋っていたら 今あるものまでも失くしてしまうかもしれない まわりにあるものすべてを大切にすることは難しいけれど ひとつでも気づけたらかわるかもしれない

 

だけど、わたしは なくしたものを数えることは そんなに悪いことではないと思います。

たしかに今は持っていないかもしれない

それでも過去があるから今があるし、そうやって過ごしてきた 失くしてきたものや出会いがあります。

そのすべてが 今の自分をつくっていて 不思議だけど

それが今のわたしであり あなたであるのなら

過去というものは現在にとっても 大切なものです

 

記憶はすこしずつ 思い出に変わっていって

どんどん綺麗に美化されていきます

こんなに心を動かされた出来事だって

いつの日か わすれてしまうかもしれない

 

それなら なくしたものを数えてもいいじゃないか

なくしたものを大切にしていてもいいじゃないか

と わたしは思うのです なくしてもなくならないもの

 

 

なくしたものあっての 現在 です

捨ててきたもの 落としたもの 奪われたもの

きっと誰もが そういったものがあるのです

 

何回わすれたって また思い出せばいい

何回転んだって また歩き出せばいいんです

 

何度立ち止まってもいい

まっすぐなんかじゃあ なくていい

そうして立ち止まっている人の 隣にいたいとおもう

先に歩き出しても その背中を見送りたいと思う

苦しいとき そばにいてあげられる人になりたいな

 

 

 

だからわたしは なくしたものも 今あるものも

すべて 残しておきたいから ここに綴ります。

完全に自己満足なんですけどね。

 

書きたいことたくさんある

 

 

 

R. 💭

 

 

 

 

ちいさな世界。

 

 

 

私は中学3年生の頃、急に朝起きられなくなりました。

それまで学校は無遅刻無欠席レベルで通う子で、部活の朝練も休まないような子でした。

朝はずっと弱かったけど。

でも突然 学校に行けない日が増えました。

自分でも戸惑うことばかりの日々。

 

もともと小学6年生頃から貧血気味で、「ああ これ ダメなやつだ」と思った瞬間に気を失って倒れて、気がついたらどこかしら打ったり怪我をしている ということが何度もありました。

目が覚めるまでに数秒なのか、数十秒なのか 自分ではわからない。体感的にはもっと長い けど一瞬。

まさに、うとうとしていて気がついたら「あれ今一瞬寝てた」っていうときみたいな感覚。

ただ、べつに毎日毎日そうなるわけではなく、予兆が来た瞬間にしゃがみこんだり、何かに掴まる などして 気を失うまでは行かずにやりすごしたり、たまにそれに失敗して倒れたりしていました。

 

ひどい時はトイレに行って、トイレのドアを開けた瞬間に倒れ、受け身も取れず便器におでこを打ち、大きなたんこぶをつくった日がありました。

石頭でよかった。無駄に頭固くてよかった。

 

でもそういうとき大体が、立ち上がる瞬間〜数歩歩いたところに起きることでした。

いわゆる「立ちくらみ」です。

 

 

それが確か中3頃から、突然 朝起きられなくなった。

目は開いているのに脳が起きてない 体が起きてない感覚。身体がすごくだるくて やる気がなくなる感覚。

学校も休みがちになって、部活も行けない日が増えました。朝から行ける日もあったりします。でも遅刻する日や行けない日が、どんどん増えた。

思えば身体がしんどい予兆はもっと前からあって、でもきっと 無理やり鞭打ってたんだと思います。

 

そもそも自分が学校に行かないなんてありえない、いじめられてもない自分が不登校なんてしんでもありえないことだ、と当時は思い込んでいました。まあそれなりにやなことはあれど、学校も部活も友達も だいすきでした。

 

毎朝「ちゃんと起きなさい」「学校行きなさい」「学校行くのなんて当たり前でしょ」と散々お母さんに怒鳴られ、夜は「どうして」と泣かれ「なにか学校で嫌なことでもあるのか 」と問われ

父は何も言わず でもその優しさも痛かった

もちろん学校に行けないほど嫌なことなどなにもないし、心は学校に行きたい、母を泣かせたくないし 期待に応えたいのに、それでも身体は起きてくれず

ケンカというよりはもう 言い返す元気もなかった

言ってるつもりなんです、症状を。でもそれを、母には〝 甘えだ〟〝 サボりたいだけ〟としか思ってもらえなかった。だから「言っても解ってなんかもらえないから」と、だんまりを決め込んでました。

 

一番理解して欲しい親にも理解してもらえず。まあこれは至極当たり前なことかなと思います。だって話さなかったから。体験しないとわからないしんどさだとも思う。でも当時は 本当につらかった。

身体のしんどさもそうだけど、心がしんどかった。

 

行きたいのに行けない 自分で自分がわからないし、「わたしは〝 学校に行く〟っていう普通のこともできないようなクズなん」って毎日泣いてた

 

 

病院なんて行きたくなかったけど、ここまで来たら行かんとしゃあない と親に連れられ受診し、いろんな検査をしました。でもどこも異常なし。

結果、「起立性調節障害」と診断されました。

これは自律神経系の障害で、ODとも言われています。

ドラッグの方じゃないよ。ドライブでもないよ。

 

起立性調節障害 についてはこちら↓

http://www.jiritsu-shinkei.jp/category/2011176.html

とてもわかりやすく書かれています。

 

起立性調節障害を簡潔に表すと、人間の自律神経には 起きている時に働く交感神経と、休む時に働く副交感神経とがあります。

夜と日中、身体は自然と神経を使い分けている。この症状の人はその切り替えが下手で、夜は元気に朝仕様の身体、朝になっても身体が夜仕様のまま なのです

 

だからね、朝は全然起きられないのに、夜になるとすっかり元気なんです。それを知ってるのは、家族だけ。普通これみてたら、サボり 甘えって思いますよね。朝のは仮病でしょう?って。

だからこそ、子から見ると理解されず 親から見ると理解できないのです。

 

だいぶ大人になってから知りましたが、全国の不登校で悩む子の中でも、いじめなどではなく、この症状のせいだった という人が、実は多いらしいです。

 

 

お医者さんには「いつ治るかは人によるとしか言えない。すぐ治るかもしれないし、20歳頃までしんどいかもしれない。でも20歳頃には良くなるケースが多いから、安心して。いつかは必ず良くなるよ。」と言われました。

 

正直なこと言うと このとき初めて病名がついて、20歳頃まで苦しいかもしれない とかそんなことより、「わたしが悩んでるこれは、わたしの甘えじゃなかったんだ」と思えて、だいぶ救われました。

ただ病名がついても、親の対応はそこまで変わりませんでした。親としても、そんな簡単に はいそうですか となれないのは仕方ないと思います。

 

それから自分に対してちょっとだけ考え方がかわり、ちょっとだけ自分との付き合い方を覚えました。

休むより遅刻 と目標を決めて、起きられなくても自分のペースで中学校に通いました。もちろん行けない日もたくさんあったけど。

当時は授業の途中に教室入る勇気がなくて、保健室の住人でした。保健室の先生って とっても重要な存在ですよね、本当にお世話になりました。

しあわせなことに、元ののんびりというか マイペースキャラからなのか、これが原因で周りの友達からいじめられたりすることもなく、聞かれなければ答えもせず。聞かれたら素直に答えてました。そのせいで「お前病気なの?」とか直接聞かれてましたが、特になんとも思ってなかった気がします。まあね って。

中学最後の1年間、これで乗り切りました。

 

担任の先生はおばさんで、ズバズバ言うしツンツンしてるけど、本当は優しくて生徒思いな人でした。

受験も 先生とたくさん話し合って、もともと行きたかった学校は諦めました。勉強はどちらかというとすきな方だったので、偏差値も60真ん中ないかなくらいの学校を受けようとしてました。でも出席日数が明らかに少ないので、それをカバーできるところにしよう とたくさん探した結果、結局偏差値10くらい下げた高校に入りました。

この選択は間違いだとは思ってないです。本当によかった。たぶん行きたかった高校に行けてたとしても、あのままなら辞めてたと思います。単位制だったし。

 

 部活の顧問の先生も本当に心配してくれて、みんないい先生達ばっかりでした。友達も支えてくれたり、本当にわたしは周りに恵まれていました。

 

高校に入ってからは、環境が変わりました。

高校っていろんなことが自由だから、出来ることも増える。とくにわたしの通う高校は頭もそんなに良くないためか色々とゆるかったので、学校遅刻してくる人も、中学とは比べものにならないほど増えました。ヤンキーたちの中に紛れて遅刻していたせいで、ヤンキーとちょっと仲良くなりました。

そのおかげもあってか、「気まぐれで学校くる、めっちゃマイペースなやつ」で通ってました。笑

 

もちろん何度も留年危機、卒業危機になりました。

学校行けない日ばっかりでしたし、遅刻は当たり前、朝からいたらクラスメイトからびっくりされるほど

この頃にはもう、授業中に教室に入ることなんてなんとも思わなくなりました。慣れすぎました。むしろ友達からラインきて、お昼ご飯のおつかいとかしてました。いじめっ子にパシられていた訳じゃないですよ。

アイスたべながら遅刻して教室入って怒られたこともあった

 

実際、高校卒業はほんとにギリギリでした。

あと1日休んだらアウトくらい ギリギリ

親はむしろ、もう卒業諦めてたと思います。

先生から 携帯に直接電話もメールもしょっちゅう。

それでもなんとか頑張れたのは、まわりのみんなのおかげです。クラスメイト、部活、しあわせなことに、高校でもわたしは周りに恵まれていました。〝一緒に卒業しよう〟って言ってくれた友達がたくさんいたから。

その節は本当にお世話になりました。

 

実際さいごまで、クラスでわたしがそういう症状を持ってると知っている人の方が少なかったと思います。べつに隠してもなかったけど、仲いい子らも知ってたんかな?くらいです。

たぶんみんな、わたしのこと ただのサボり魔だと思ってたと思います それでもべつによかったです

そこはそんなに重要なことじゃなかった

 

大学受験も、出席日数が重要なAOや推薦は使えず。

勉強は嫌いではなかったので素直に勉強しました。

クラスの9割以上がAOやら推薦やらで、12月頃にはみんな進路が決まってるようなクラスでした。

(ゆるい高校なので専門学校志望も多かった)

 

みんなが遊んでる中、勉強し続けるのはなかなかしんどかったです。一緒に一般受験まで頑張ってた友達も途中で挫折したり、授業中に受験勉強してても(本当はよくないよ)まわりはうるさいし、遊ぶ約束が飛び交っていて、正直しんどかった。きっとこれは進学校のほうが「受験があたりまえ」なので、環境的には楽なのかも。まあ もちろん受けるレベルも違うんですけどね。

 

結局わたしは無事に、行きたかったところに受かりました。卒業の日に担任から「あんたの頑張りはずっとみてたよ。勉強も学校もよくがんばったね。見送れてよかった。卒業おめでとう。」と言われて、号泣しました。

担任の授業は受験科目じゃないから、授業中ほかの勉強してたの、見て見ぬふりしてゆるしてくれてありがとう

今思い返しても泣けます、本当にお世話になりました

 

これは中学も高校も共通して言えることですが、先生方と友達には たくさん心配と迷惑をかけたなあ

電話かけてくれたり、遅れてる分の勉強教えてくれたり、プリント作ってくれたり、本当に優しい人たちばっかりでした。わたし幸せ者でした。

 

大人になった今考えると、親はずっと心配してくれてたのが痛いほど解るし、わたしももっと話せばよかった。親を責めるつもりもないです。わたしは親になったことがないから予想でしかないけど、きっと人の親なら誰でもそういう気持ちがあるとおもうから。当時はかなしかったけれど、それは仕方ないことだって思えます。

 

結局お医者さんの言っていた通りで、20歳になる前くらいには 症状もだいぶ楽になっています。
あの苦しい「起きられない」は、20歳の今あんまりないです。起きられない時は高確率で ただ眠いだけです。

 

 

こういう経験してきて、いちばんつらかったのは、

やっぱりまわりに理解してもらえなかったことです。

 

それから、言われるとつらいワードがいくつかありました。それは「なんで学校こないの?」「明日は来る?」「学校きなよ」ニュアンス的にはこんな感じかなあ。

悪気がないのも解るんです。でも 答えられない。

正確には なんて答えたらいいか解らないんです。本当は行きたいんだよ って思いながら、ちょっと傷つきながらなんも言えず、苦笑いするしかなかった。

なにも言わずに「おはよう」って言ってくれる友達が どんなにありがたかったか。どんなに救われたか。

 

 

不登校にはそれぞれ理由があります。

ひとりひとり 違う背景があります。

まわりにそういう子がいるなら、ぜひ話を聞いて 寄り添ってあげてほしい。理解は難しくとも、そういう子もいるんだ と思ってあげてほしいです。

それから、先にあげたような言葉をかけるときは、すこしだけ立ち止まって 考えてみてほしいです。

 

この起立性調節障害は 良くなります。

しんどいときにも きっと終わりがきます。

 

こういう症状をもったお子さんを持つお母さんが もしこれを読んでくれていたら、いいなあ。

きっと子は こういうふうに思っています。

怒って引っ張って学校行かせようと思っても、ふさぎ込むだけかなと思います。すこしだけ、寄り添ってあげてください。親だからこそ 難しいのもしれないけれど、お子さんがいちばん解ってほしいのは きっとあなたです。

 

もしこれを読んでくれているあなたが、こういう症状に悩まされているのなら、終わる日は必ず来るし 解ってくれる人は必ずいます と伝えたいです。すくなくとも、わたしは同じように苦しんだ人間です。

同じように、そうやって苦しんだ人はたくさんいます。あなたがおもうよりずっと、世界は広いんだよ。

学校にいくことだけが あなたのすべてじゃない。

ひろい世界の中の、ちいさな世界にあなたはいて、その中で苦しんでる。もっと、もっと世界は広いから、しんどいときは そのちいさな世界から飛び出してみてください。それは 逃げでも何でもないです。そのちいさな世界だけで すべてを完結させようとしないでね。そして、自分で自分を受け入れてあげてください。自分だけは自分を、疑わないでください。

 

 

本当につらいときは学校なんて 行かなくたっていいよ

そんなとこ行かなくても あなたは生きていけるよ

でも身体が 心が楽な日に行ってみたら 案外まわりは、あなたが想像しているようには思ってなかったりするかもしれないよ。 

周りが支えてくれることもあるってこと わすれないで

 

 

ちいさな世界🌹

 

 

 

R.