ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

教室っていう 狭い世界。

 

 

物思いに耽ける、なんてかっこいい言い方だけど

考えごとをしていたら いろんなところに思考が派生して

学生時代に感じていた、息がしづらい感覚を思い出した

 

 

他人のあることないこと話すやつとか、

それを人から聞いただけで信じて 勝手に嫌うやつとか、

誰かのことを落としてまで 自分が好かれようとするやつとか、

誰々が悪口言ってたよって ご丁寧に本人に伝えるやつとか、

 

本当にしょうもない  そういう空気がずっとあった

そんなことして好かれて 本当にうれしいのかね

仲間の空気に流されるやつの多さに びっくりした

他人の評価が気になることは解るし、特にそういう時期なのも、通ってきたから全員よく解るとおもうけど

「誰かが言ってたから」っていう空気、本当に嫌いだった

直接自分がされたことだけを信じろよな

 

誰と誰が仲良くたっていいだろ、

誰と誰が付き合っていたっていいだろ、

仲良い=付き合う、っていう方程式しか頭ん中にないのか?

話してるだけなのに そういう風に捉える風潮

 

そんなことしか話題にないやつらの話なんて1ミリもおもしろくなくて、へ〜って言いながら、嫌気がさして全部捨てたくなったりして

なるべくはやく 帰り道で親友たちと、そういうことなんかじゃなくて、そんなことなんかと比べものにならないほど、くだらなくて最高な話をしたいってことだけが 心の拠りどころだったな

 

今でも信頼出来る友達、ずっと付き合っていたい友達、

その中で そうやってちゃんと出来たから、

わたしは幸せものなんだとおもう

 

 

きっと誰もが少なからず感じていた感覚だとおもうが

うまく言葉に出来ないな 思春期といえばそれまでか

 

おとなに近づいていくたび、

そういう狭い世界からどんどん視界が開けていって

人間関係を自分でえらべるようになって

やなやつと上手くやる必要も減ってきて

人との関係を 簡単に線引きできるようになって

 

そういう息苦しさは 気づいたら薄まっていたな

 

 

他人の評価がきになることもわかるし、

だけどそういう次元だけで生きていたら

つまらない人間になっていくなって感覚があって、

当時のわたしに伝えることなんて何もないけど、

ただ、それでいいよってことだけは 思うかな

 

 

当時のわたしが、ばからしいことを ちゃんと、

からしいと思える人間でいてくれてよかった

 

達観したつもりになるのも違うんだが、

しょうもない話と空気には それ相応の対応で十分って話

同じ温度で付き合ってやる必要はないってだけの話

 

 

学生の情熱には 眩しい目を伏せて微笑みを。

 

 

中学時代を思い返すと、

懐かしさと息苦しさが、いつも同時にやってくる気がする

 

大人になっちゃったんだな

 

 

R.