ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

パーフェクトじゃ つまらない。

 

 

 

わたしは 自分で言うのもなんだが かなり外面がいい方だと思う 母にもよく言われる うちの家系的にもそうらしい 事実兄もかなりそうだと思う

 

見栄っ張り それも少し違う気がする

自己顕示欲 それは誰しもあるし そんな気もする

自分でもよくわからない よくわからないうちに染み付いてしまっていたのかもしれない

 

嘘をつくまではあまりしないけれど、答えず なんとなくぼかしたりする それは認める

 

よく思われたい

八方美人のような感じ

 

でも、よく思われるってなんだろう と考えた

鎧かぶって 怖いから 本当の自分は見せないままで

 

一度見栄を張るためについた嘘が あとになって

自分の首を絞めてしまうことってよく あることです

 

それが怖いから、たまにしか会わないような、適当に話を合わせるだけの相手ならば それでもいいのかもしれない

 

適当に帳尻合わせたり、次会うまでに 嘘を事実に変えてしまったり、なんなら最後までバレずに 誤魔化し通せるかもしれない

 

全部 本当を伝えればいいって訳でもない

わざわざ伝える必要がないこともあるとおもう

 

 

例えば、全く料理のできない人が 「私は料理が得意だ」と嘘をついてしまったとして

 

それが身近な人、家族であったり 仲のいい友人であったり 付き合っている人であったり、その嘘をつき通すには無理がある関係にあたる相手であるのならば、適当に帳尻合わせるのには限界がある。 次会うまでに嘘を事実に変えてしまうには、次会うまでの期間が短すぎる。そもそも最後までバレない訳が無い。

 

そんな身近な、すぐに嘘がバレてしまうような関係性の相手に、どう考えてもこんな嘘はつくべきではない。バレたところでいいことが無い。

 

 

対して、それがたまにしか会わないような人、今後の人生で会う確率の低い人ならば、その場しのぎで見栄を張っても そんなに今後響くこともない気がする。

 

まあそんなのが解らないから、我々はどうでもいい嘘をついて 後でやっちまったと後悔するのですが。

よくあることでいえば 嘘をつきたいつもりじゃなくてもね、その場だけの関係だと思って 聞かれたことの答えを適当に伝えたけれど、実は今後も関係のある人間であった とかね あるよね

 

 

未だについつい 自分をよく見せようとしてしまうこともあるけれど、昔に比べれば大分マシになった

 

完璧でいようとするとつまらない人間になるのかもしれない 等身大でいたいなあ と思うこの頃

強がってよく見せようとしても 墓穴掘るよね

 

あるよね きっと誰でもある

 

解る人には解られてるとおもう 見抜かれてる

 

 

ありのままってむずかしいけど

すべてさらけだすなんて怖すぎるけど

案外食わず嫌いなだけなのかもしれない

 

 

 

憧れのあの人は そういうところが上手で

でもそれは環境だったり経験だったり

いろいろな条件があっての あの人だから

 

憧れすぎて 自分をなくさないようにしよう

 

 

自分らしくってなにか解らへんけど

 

ありのままでいよう という意識を持とう

 

完璧な人間なんてなりたくないな

 

 

あの花束をドライフラワーにすべく乾燥中

 

 

鯨にあいたい

 

 

 

R. 🐋