ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

なくしたものを数えるよりも。

 

 

今あるものを数えよう とよくいうけれど

 

やっぱりなくしたものを数える ということを 否定してしまうのはちがうなあ と感じているこの頃です。

 

たしかに 今あるものを大切にすることは、とても とても大切で、過去にばかり縋っていたら 今あるものまでも失くしてしまうかもしれない まわりにあるものすべてを大切にすることは難しいけれど ひとつでも気づけたらかわるかもしれない

 

だけど、わたしは なくしたものを数えることは そんなに悪いことではないと思います。

たしかに今は持っていないかもしれない

それでも過去があるから今があるし、そうやって過ごしてきた 失くしてきたものや出会いがあります。

そのすべてが 今の自分をつくっていて 不思議だけど

それが今のわたしであり あなたであるのなら

過去というものは現在にとっても 大切なものです

 

記憶はすこしずつ 思い出に変わっていって

どんどん綺麗に美化されていきます

こんなに心を動かされた出来事だって

いつの日か わすれてしまうかもしれない

 

それなら なくしたものを数えてもいいじゃないか

なくしたものを大切にしていてもいいじゃないか

と わたしは思うのです なくしてもなくならないもの

 

 

なくしたものあっての 現在 です

捨ててきたもの 落としたもの 奪われたもの

きっと誰もが そういったものがあるのです

 

何回わすれたって また思い出せばいい

何回転んだって また歩き出せばいいんです

 

何度立ち止まってもいい

まっすぐなんかじゃあ なくていい

そうして立ち止まっている人の 隣にいたいとおもう

先に歩き出しても その背中を見送りたいと思う

苦しいとき そばにいてあげられる人になりたいな

 

 

 

だからわたしは なくしたものも 今あるものも

すべて 残しておきたいから ここに綴ります。

完全に自己満足なんですけどね。

 

書きたいことたくさんある

 

 

 

R. 💭