ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

ジャムはやっぱり苺ジャム。

 

 

ジャム本編、観ました。エイトのこと 書こう。

そうだなあ 言葉にするのはいつでも簡単で難しいなあ

聴くたび観るたび いろんなこと考えてしまう。

 

関ジャニ∞ エイターテインメント ジャム

前ツアーとはまた違う形のエンターテインメント。

前半はシンプルにバンド。ずっとバンド。メトロックに出演した後だったから、来れなかった人たちにもっていう感覚かな、セトリもそんな感じでした。

後半はいわゆるアイドル。完全に振り切っていてかっこいい。でもきっと やる側は本当にしんどいと思う構成。あれを連日やっていたのは 素直にすごい。

メトロック実はエイトが出演決まる前に、ボランティアとして半スタッフで行くこと決まってたので、発表されたとき心臓止まるかと思った。ズッコケあたりで交代の時間がきてしまって、泣きながら仕事に戻ったなあ。音漏れ聴きながらゴミ集めてました 懐かしいなあ。

 

ジャムで忘れられないのは、初日札幌アリーナで トロッコに乗った汗だくの亮ちゃんが目の前通った時、マイク通さない生声で「あっちぃー!!」って言ったこと。

あと同じくトロッコが目の前に止まって、向こうの方をギラギラした目で見つめるすばるくんの横顔(斜め下顔?)に、息ができなくなったこと。あの美しさ、わすれられない。アリーナ通路側の端っこだったから本当に目の前で、今まででいちばん近かった。

章ちゃんは近く通らんかったけど、すこし遠くのフロートから 恐らくわたしの団扇を指して手を振ってくれました。隣でみてた友達に「今の安くん!絶対りいちゃんに手振ったよ!」と言われたので、そう思うことにしました。わたしへのファンサじゃなくてもいいです。思うのは勝手なので、自惚れることにしました。わたしはあほなので幸せです。

目の前通った横山くんはライトで白飛びしていました。丸ちゃんはあいかわらず誰よりもアイドルでした。

村上くん大倉くん安田くんは近く通りませんでした。

 

 

ジャムオーラス、そういえば 章ちゃん肌荒れしてて心配してた時期だったなあ。そういう関係ないことばっかり考えてしまったなあ。髪型もんたよしのり期なあ。みんなからウケ悪いけど章ちゃん的にはお気に入りらしい かわいいよなあ。わたしは章ちゃんが楽しいならなんでもいいよ それでいいよ派です。髪も服も好きなようにしてほしい。

 

あと ライブ前半はバンド曲が続くけれど、改めて歌い出しが章ちゃんの曲多くないですか。誰が作った曲とか置いといて、多くないですか。嬉しいです。

 

でも正直、なにより今回楽しみにしていたのがユニット曲で。年上組のAnswer、年下組のノスタルジア。どちらも最高に大好きで 大切で。

 

Answerは、言わずもがな3人のジュニア時代の写真→今の3人の写真。サビのキーをわざとギリギリの高さに設定したすばるくん。歌に自信がないといつも言う横山裕が ジレッタを経て堂々とソロでサビを歌っていて泣けた。バリバリ踊る村上くんの格好良さよ、彼は素敵なアイドルだなあ。

3人で書いた歌詞に すばるくんが曲をつけて 3人で歌う。全部3人の空気感だなあ この3人がこの3人で良かったなあと しみじみ感じた曲。

今のこの3人だから生まれた歌詞。

この3人が歌うから響く歌詞。

 

ノスタルジアは、エモいの一言に限る。とにかくエモい。なんだろう、この感覚。鳥肌が立つんです。音源だけでもゾワゾワする。二度と戻れない夏のようで、キラキラしていて、どこまでも切なくて、でも一秒一秒が大切で。息を呑むような なんだか神聖なものに感じる そんな空気感の曲。

個人的には登場の仕方が好きで。バクステ丸→レフト倉→ライト亮→センステ安の順番で 1人ずつスポットライトが当たって、どんどん仲間が増えていく。それぞれが真ん中に向かって歩いていって、4人集まって。あの瞬間、間違いなく世界で一番 美しい四角形でした。

丸ちゃんの一音一音を大切に掴むような動きに  目が離せなかった。大倉くんの白に近い金髪が揺れて なんだか浮世離れして見えた。わたしは錦戸亮のダンスが一番すき あなたのターンが一番すき。章ちゃんの声は 倍音がとっても心地よくて安定していて なんだろう うまく言えないけれど本当に好きなんだよなあ。

 

この2曲は特別に 特別でした。

 

全部言ってたらキリないからこの辺でやめよ〜〜

映像を見終わって、いいツアーだったなあと考えていたら アルバムのジャムが発売した頃のこと思い出した。

横山くんがジレッタ、大倉くんが蜘蛛女、安田くんが俺節を終えてからのツアーで、初日が札幌で。

わたしはこの頃、安田くんのことばかり考えていたなあ。心配とか 安心とか 微かな不安とか うまく言い表せないけれど。俺節のことが忘れられなくて、観ただけのわたしがこうなんだから、きっと本人はもっともっと 想像もできないくらいなんだろうな とか。ずっと彼と、彼の中にいるコージを想っていた。

 

たしか初日の前日くらいにアルバムが発売して、札幌へ行く飛行機の中で全部聴いた。まさかすばるくんに「生きろ」と言われる日が来るなんてなあ 1人で飛行機の中 空を眺めながら泣いたなあ。

何もなくたって いいんだって思えた まっすぐな歌。それでもいいって まっすぐに認めてくれた。たくさん変わったけど なんにも変わってなんかない 渋谷すばるの歌でした。

 

そんなこともあったなあ と今日 思い出した。

その日に一緒にいた友達のこと、話したこと、行ったところ、その日着ていた服、たくさんのこと思い出した。振り返ったら全部素敵な思い出になっていた。

 

 

ただただ 関ジャニ∞が好きだなあ と毎日気付かされる

本当に毎日感じてるの それってすごいことだよなあ

 

日常に潜むちいさなことにも、気がつけば

あ〜これ章ちゃん好きそう 似合いそうやなとか、すばるくんがこの曲歌うのしぬまでに聴いてみたいなとか、こないだ横山くんも似たようなこと言ってたなとか、今のが村上くんやったら絶対もっと面白くなるのにとか、このドラマ大倉くんも観てるかなとか、ライダース着てる人みるたび亮ちゃんのが似合うなとか、お昼すぎたなあ今日も丸ちゃんウェブ更新してくれたかな?とか

考えてしまってるよなあ 当たり前のようにね 恋かな

 

気がついたらもう3月で、ジャムオーラスが9月で。時が過ぎるスピードが年々早くなっている気がする。はやくてはやくて たまに置いていかれる。それでも生きろと言われたから、「誰でもないあなたを生きて」と歌ってくれた だいすきな人たちがいるから、生きてゆける

 

 

ひろがる ひろがる 目の前世界がひろがる

 

 

R. 🍓

 

 

おとな は こども。

 

 

 

よくある話だけど、大人と子どもの境界線ってどこにあるんだろうな。ハタチになってお酒を飲めるようになったら大人?自分でお金を稼いで暮らすようになったら大人?

 

悲しくても痛くても 我慢して泣かないのが大人?

自分のこと押し殺して 我慢するのが大人?

それが大人なら、わたしは一生大人になれないな。なりたくもないな。大人と子どもの狭間におちてしまったのかな。それもいいな。

 

ああ 子どもに戻りたいなあ と考えた時点で わたしは大人になってしまったんだなあ と実感した。

 

 

みたかったもの  みたくなかったもの

みてしまったもの  みようとしなかったもの

 

知らなかったこと  知りたくなかったこと

知ってしまったこと  知ろうとしなかったこと

 

言いたかったこと  言えなかったこと

言ってしまったこと  言いたくなかったこと

 

変わりたかったこと  変われなかったこと

変わりたくなかったこと

 

変わってしまったこと  変わってほしくなかったこと

変わろうとしていたこと

 

許せなかったこと  許したくなかったこと

許してほしかったこと  許してしまったこと

許したかったこと

 

 

生きているなあ。

 

 

R. 🌿

 

 

 

バニラな気分。

 

 

 

眠れなくて 朝になってしまった

こういう時なんだかすこしだけ 罪悪感が芽生える

悪いことはしていないけれど 朝眠るのはやっぱりよくないことだと解っているからなんだろうけど

 

もう11月も真ん中あたり

だんだん景色が冬になってきていてわくわくする

最近は専ら眠れない夜が続いていて とてもかなしい

夜に眠りたいんだわたしは

 

きのうみたドラマの感想なんてどうでもよくて

作ったグラタンを褒められたのは満更でもなくて

おとといあったかなしい出来事は忘れられなくて

やらなきゃいけないことほどやる気が起きなくて

なかなか巡り会えない香水探しの旅は終わらなくて

まわりと比べてしまっては自己嫌悪に陥ったりして

焼きたてのパンの匂いが無性に嗅ぎたくなって

部屋のちいさなサボテンがすこし大きくなっていて

気がついたら身の回りのものはすきな青で溢れていて

どうしてかな冬の寒い中でたべるアイスが好きで

眠れないまま朝が来て

 

 

今日も生きてる 

とんでもない幻 だったらいいのに

さむいからアイスクリーム食べたい

 

 

R. 🍨

 

 

 

君は僕のエネルギー。

 

俺節
「俺が俺というときは 俺とお前で俺だから」

 

 

2017年 8月28日

わたしは 俺節大阪大千穐楽より、この下書きをいつまでも下書きのままで眠らせていた。それは、この記しが未完成だったから。書きたいことが多すぎて、いつまでも いつまでも書き終わらないこの記しを そのまま公開するわけにもいかず、ずっと下書きのまま保存してあった。

 

俺節千穐楽から2ヶ月程経とうとしている今、早いものでもう 8月も終わってしまう。

こうして時間は過ぎて行ってしまうものだから、この未完成な記しを、いつまでも下書きに留めておくのはなんだか、違う気がした。だから、未完成のままでも載せよう と漸く思い立った所存です。

この作品から感じ取った素晴らしさを、あの日動かされた心を、記した日記です。未完成ながら、すべて、あの日感じた素直な言葉です。

( 後に編集しなおす、または追記することも大いにあるかと思います。いつか完成するかなあ。)

 

 

以下 2017年 6月末に記した文章

 

 

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6月30日、舞台「俺節千穐楽を終え

俺節が終わってしまいました。

全34公演 本当におつかれさまでした。

もう 書きたいことだらけです 残しておきたい

本当にすばらしい作品だった 

 

セリフの言い回しや雰囲気は、覚えている限りのニュアンスで表現しています。

また自分の記憶だけでは曖昧なので、他の方の記憶も勝手ながらかなりお借りしまして 書かせて頂きます。

(皆さんの記憶力の良さに慄いております)

好きな、または印象にまたはシーンをあげていく。

以下ネタバレあるので 千穐楽終えたとはいえ知りたくないという方は 避けた方が良いと思います。

 

ちなみに順番もぐちゃぐちゃかもしれません。

覚えている限り なので。ご了承ください。

 

 

◎大野師匠が話すコージの歌への考え

オキナワ「お前の歌える時と歌えない時の違いは何なんだよ!」

コージ「おらにもよくわかんねんだぁ…」

大野「…思っていることが上手く言葉に出来なくて、やっと喉から出てきてみたら、歌になっちゃったんだろう…?」

コージ「…!それです…!」

大野「…生きづらいだろう?そんなんじゃ…」

 

 

◎北野波平からコージの歌への言葉

コージとオキナワが 大野師匠と共に流しとしてお店を周り、師匠がトイレへ行っている間の代わりに繋ぎを任される。そうして披露したのが小林旭「北へ」

それをお忍びで来ていた大物演歌歌手 北野波平が聴いていた。そしてコージが感想を問うと、北野は

「君は今、誰のために歌ったんだ?」

コージ「それは あのお客さんのためです」

北野「そのお客さんのために歌ったとき、君はどこにいたんだ?君は 『名もない港に 桃の花は咲けど 旅の町には やすらぎはないさ』(小林旭 「北へ」1977年) と歌った。情景が広がるねえ。しかし、その歌の景色の中に君の姿が見えなかった。君の歌の中には君自身がいない。」

 

北野「君の歌はまるで差出人の書かれていない手紙のようだ。俺ならそんな手紙、気持ち悪くて開けたくないね。君の歌の差出人は勿論 君であるべきだ。客のために歌う?何様のつもりだ!

  歌で嵐が吹き荒れるなら、ずぶ濡れになるべきは君だ。歌で大地が引き裂かれたら、奈落の底に落ちるべきは君だ。歌で誰かが死ぬのなら、客を殺すな!君が死ね!」

オキナワ「でもさぁ、そんなに自分自分で歌ったら、客の気持ちはどうなるんだよ?」
北野「客は歌い手の背景に自分をみるんだよ。歌い手の中に自分を感じるんだ。客はそんな歌い手の屍を見て、自分のことの様に涙を流すだろう。」

「君の歌が否定されたら君の全てが否定される、そんな歌を歌いたまえ。…あぁちょっと喋りすぎたな。」

 

 

 

 テレサが取調室で語ったコージへの想い

警察「この部屋で出来ることなら 特別にさせてやりましょうよ。何かしたいことはありますか?」

テレサ「演歌…演歌が聴きたい 。 白樺 青空 南風 …

警察「『北国の春』 か、いいメロディだよなあ。」

テレサ「いや、きっと この歌じゃなくても 好きになっていたと思います。歌詞やメロディーじゃなくて、気持ちが、気持ちが飛んできたの。あの人が歌っているときの気持ちを 好きになったんです。あれは わたしの気持ちでした。どうして、あの人の中からわたしの気持ちがでてきたんでしょう。 」

 

 

◎みれん横丁で師匠が語った「歌」への定義

師匠「俺は流しの端くれとして、レパートリーだけは何千曲も増やしてきた。でもそれは果たして歌か?」
コージ「じゃなきゃ何なんですか。」
師匠「俺の頭の中にあるだけならそれはきっと、ただの楽譜だ。俺の口から出たとき…」
陛下「歌になる!」
師匠「違う、まだだ。まだ歌じゃない。」

師匠「それが誰かの心に届く…惜しい!まだ歌じゃない。月日が経ち、歯を食いしばって どうしようもなく苦しいような場面でふと、あのときの俺のメロディが頭で鳴り響いたとする。そのとき初めて歌と呼ばれるものになる。だからそれが歌かどうかなんてすぐには分からない。何十年も経ってから分かることもあるんだ。」

 

 

 

◎オキナワからコージへ曲を渡す時のセリフ

コージ「オキナワもテレサもいなくなった今、背負うものがなくなって 自分だけになった今でも、自分のことすら重荷に感じてるんだ…」

 オキナワ「俺はこの歌を否定されたら自分の全てを否定される、そんな歌を書いた。なのに見る前から否定しないでくれよ…」

 

 

◎ コージとテレサが音階で会話をするシーン

言葉にならない 歌にならない想いを声にのせて

お互いに共鳴しあう 必死に伝え合う

とてもとても感動した ぼろぼろ泣いた
後ろの人は笑っていた 感じ方は人それぞれやね

 

 

◎コージの歌に足りないもの

テレサ「コージ、さっきの歌何が足りないか分かった。それは、私。私です。コージの歌は、私がいないとコージの歌じゃない。」

 

 

◎コージの歌うオキナワから貰った「俺節

テレサと話し、この歌詞を見てコージは「オキナワ、これはテレサと作ったのか?」と問う。もちろんそんな訳はなく、オキナワは「いや、俺がひとりで作った。」と答える。歌詞の中に、自分を重ねた。

 

 

俺節
作詞:福原充則監督  作曲:門司肇

 

ひとりで生きていけるのと 強がり放した手だけれど

夜と朝の境目辺りに見る夢で お前の名前を呼んでいた
おーいおーい ねぇ 届いているかい

もっと傍まで来てくれよ 心の中まで入っておいで

 

俺が俺というときは 俺とお前で俺だから

俺の俺節 おまえ節

 

何でもわかってくれるから 必死で隠したことだけど

挫けまみれの暮らしの中で お前の影を探してた

おーいおーい ねぇ どこまでいこう

もっとずっと遠くまで 黙ったまんまで歩こうよ

 

俺が俺というときは 俺とお前で俺だから
俺の俺節 おまえ節

 

 

ーーーーーー

 

 

 

舞台にはまりそう 生ってすごい

こちらに飛んでくるパワーがすごい
熱量とアドリブと その空気感が ドカンと飛んでくる

同じシーンでも 観る度にちがう顔がみられる

 

 

本編最後の コージが新聞を投げるシーン
その瞬間の、プツンと緊張の糸が解けたような
あの顔が忘れられない 瞼に焼き付いている

どれだけの期待と不安、プレッシャーを背負って あの舞台の真ん中で 叫ぶ様に歌っていたのか
わたしなんぞには想像もつかないほどのものであろう

魂の叫びのようで とても美しくて 儚くて 怖かった

 

体力的にやられて 精神的にやられたとき、みんながいてくれた と彼は話した 最高のカンパニーだと

このカンパニーと出会えたことは 一生大切にする宝物だと そう話してくれた彼の顔は本当に誇らしげで 前を向いていた もう未来を見ていた

千穐楽が終わってしまった悲しみや寂しさに関する言葉は一言も発さず、この経験を糧にする と

ああ この人がわたしの好きな ずっと好きな人だ
と ファンとして誇らしくなった
公演期間中だけではなく 稽古が始まった頃から
日に日に痩せていく彼を見ていて、とても不安になった 心配になった
舞台に命をかけ 自ら首を絞める彼から この舞台が終わってしまったら 役と共に彼はいなくなってしまうんじゃないかと思うほどの気迫を感じて こちらまでしんどく そして怖くなる期間だった

だけど これは彼自身の闘いであったから
やりきった、演じ切った彼に 心からの敬意と
お疲れ様でしたという労いと 精一杯の拍手を。
わたしにはそれしか出来ることがない

思い出すだけで泣きそうだ
今でも瞼に焼き付いている 俺節千穐楽

自分の好きな人がこんなに誇らしいなんて
なんて幸せなことなんだろう

俺節は終わったけれど、もうすぐツアーが始まってしまうし、ツアーリハは既に始まっている
むしろ千穐楽が終わった途端、東京に戻ってMステに生出演している。休む暇なんてない。
それはとても心配だけど、彼は今日もテレビの中で笑っている。無理している時もたくさんあるよね、いつもいつも無理に笑わせてしまっているのはこちらだよなあ お仕事って酷だなあ そのおかげで出会えたのだけど

本当のこと言ったら、いますぐ沖縄に行って2週間くらい 海のそばでゆっくりしてほしい
ビジネスなんてわすれて ギター弾いたり 海潜ったり
好きなことだけして のんびり過ごしてほしい
でも今すぐにそれは叶えられないもんなあ

 

 

ーーーーーーーー

 

でもこの感動はまだ 上書きしたくないなあ
この感動を超える舞台に出会えるかなあ
それはまた 彼の舞台なのかなあ

 

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 追記

 

この記事をすこしだけ 感想だけ追記した。

今日はもう2017年11月2日 夜中の3時過ぎ

 

眠っていたら目が覚めて 気づいたら涙が流れていた

夢をみていた 俺節の夢をみていたことを思い出した

 

もう千穐楽から4ヶ月以上経っているのに まだ、わたしは俺節を思い出し 夢にまでみて 未だに涙を流している

正確には、舞台「俺節」を終えた安田章大を想い 涙を流している。あの日のあの顔を 安堵と 寂しさと やり切ったという誇りと 色んな感情が混ざった なんとも言えないあの表情を わたしは一生忘れられない。忘れたくない。今でも目を閉じればすぐに 瞼の裏に呼び戻せる景色 簡単に蘇るあの歌声 熱い記憶

 

そんなふうに作品を想い、彼を想い、夢にまでみて 涙をぼろぼろ流すなんて自分でもびっくりしている。

本当にそれほど 心を動かされた 魂を揺さぶられた 唯一無二の舞台であったこと 一生忘れない。

 

 

それだけ。

めいっぱいの愛情と ありったけの敬意を込めて。

 

 

R. 

 

 

 

パーフェクトじゃ つまらない。

 

 

 

わたしは 自分で言うのもなんだが かなり外面がいい方だと思う 母にもよく言われる うちの家系的にもそうらしい 事実兄もかなりそうだと思う

 

見栄っ張り それも少し違う気がする

自己顕示欲 それは誰しもあるし そんな気もする

自分でもよくわからない よくわからないうちに染み付いてしまっていたのかもしれない

 

嘘をつくまではあまりしないけれど、答えず なんとなくぼかしたりする それは認める

 

よく思われたい

八方美人のような感じ

 

でも、よく思われるってなんだろう と考えた

鎧かぶって 怖いから 本当の自分は見せないままで

 

一度見栄を張るためについた嘘が あとになって

自分の首を絞めてしまうことってよく あることです

 

それが怖いから、たまにしか会わないような、適当に話を合わせるだけの相手ならば それでもいいのかもしれない

 

適当に帳尻合わせたり、次会うまでに 嘘を事実に変えてしまったり、なんなら最後までバレずに 誤魔化し通せるかもしれない

 

全部 本当を伝えればいいって訳でもない

わざわざ伝える必要がないこともあるとおもう

 

 

例えば、全く料理のできない人が 「私は料理が得意だ」と嘘をついてしまったとして

 

それが身近な人、家族であったり 仲のいい友人であったり 付き合っている人であったり、その嘘をつき通すには無理がある関係にあたる相手であるのならば、適当に帳尻合わせるのには限界がある。 次会うまでに嘘を事実に変えてしまうには、次会うまでの期間が短すぎる。そもそも最後までバレない訳が無い。

 

そんな身近な、すぐに嘘がバレてしまうような関係性の相手に、どう考えてもこんな嘘はつくべきではない。バレたところでいいことが無い。

 

 

対して、それがたまにしか会わないような人、今後の人生で会う確率の低い人ならば、その場しのぎで見栄を張っても そんなに今後響くこともない気がする。

 

まあそんなのが解らないから、我々はどうでもいい嘘をついて 後でやっちまったと後悔するのですが。

よくあることでいえば 嘘をつきたいつもりじゃなくてもね、その場だけの関係だと思って 聞かれたことの答えを適当に伝えたけれど、実は今後も関係のある人間であった とかね あるよね

 

 

未だについつい 自分をよく見せようとしてしまうこともあるけれど、昔に比べれば大分マシになった

 

完璧でいようとするとつまらない人間になるのかもしれない 等身大でいたいなあ と思うこの頃

強がってよく見せようとしても 墓穴掘るよね

 

あるよね きっと誰でもある

 

解る人には解られてるとおもう 見抜かれてる

 

 

ありのままってむずかしいけど

すべてさらけだすなんて怖すぎるけど

案外食わず嫌いなだけなのかもしれない

 

 

 

憧れのあの人は そういうところが上手で

でもそれは環境だったり経験だったり

いろいろな条件があっての あの人だから

 

憧れすぎて 自分をなくさないようにしよう

 

 

自分らしくってなにか解らへんけど

 

ありのままでいよう という意識を持とう

 

完璧な人間なんてなりたくないな

 

 

あの花束をドライフラワーにすべく乾燥中

 

 

鯨にあいたい

 

 

 

R. 🐋

 

 

 

花束と羊。

 

 

 

母の日 🌹

お花とケーキをプレゼントしました

 

親子揃って お花だいすきです

カーネーション すてきやね

 

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大人になってからの方が、母の偉大さに気付かされることがとても多い。母ってすごい。尊敬しています。

いつまでも元気で 変わらずパワフルオカンでいてな。

 

 

 

最近 夜ふかしばかり。

お肌にも良くないとわかっていながら、なかなか早寝早起きは出来ない。帰ってくると毎日 日付超えるお仕事なので、なかなか難しいなあ。

 

日曜は必ずお休みなのだけれど、日曜の夜ってなんだかいつも眠れない。どうしてだろう。明日が来るのが嫌なのかな。休日が終わってしまうのが嫌なのかな。

 

 

 

夜ふかしをしてしまうのは

その1日に満足出来なかったから

その1日が充実していなかったから

その1日に後悔を置いてきたから やと思う

 

 

よくないなあ と思いつつ

 

 

今日も絶賛 夜ふかし中です

 

さて明日も仕事 しあわせなことだわ

 

 

羊が1匹

 

 

R. 🐏

 

 

ハッピーエンドと 長い夜。

 

 

 

仕事から終電で帰宅して シャワーを浴びて 野菜ジュース片手に 録り溜めていたドラマを数話 一気に観た

 

とても後味の悪い物語 嫌いじゃない 寧ろ 後味の悪い作品を観ると どこか安心するのは何故だろう

 

何が正義で 何が悪で 悪に染まる 正義に染まる

何がきっかけで それは紙一重なのかもしれない

 

誰にとっての正義 誰にとって都合の良いこと

誰にとっての悪 誰にとって都合の悪いこと

自分にとっての正義や悪が 誰かにとっての悪や正義であるかもしれないと知ってしまったら 気づいてしまったら 途端に動けなくなる 解らなくなる

 

ハッピーエンドなど 望んでいないのだろうか

そもそもハッピーエンドなんて 誰が決めるのか

日常には 終わりの日まで 続きが在るものだ

本当の終わりなんて その時になるまで解らないものだ

 

そう考えると、ハッピーエンドにも続きがあるはずで

本当の意味でのハッピーエンドなど あるのだろうか

 

わたしが 後味の悪い作品に惹かれる理由が

 解ったような気もした

 

 

朝だ 寝ようと考えて寝室に向かった

寝室のカーテンが開いたままになっていて、

外から眩しいくらいに朝日が射し込んでいた

 

後味の悪いドラマのせいで もやもやしたままの心が

なんだか晴れた気がする 太陽ってすごいなあ

自然の力ってすごいなあ 人間って単純だなあ

 

 

玄関の外で朝日を浴びながら 歯を磨いた

肌寒いけれど とても気持ちがよかった

 

すっかり日が昇るのも早くなったなあ

夏が近づいている

 

 

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今日も長い夜だった

おやすみなさい

 

 

良い夢を。

 

 

 

R. 🌞