ドッペルゲンガーも夢をみる。

おもったこと 感じたことを つらつらと。

おとな は こども。

 

 

 

よくある話だけど、大人と子どもの境界線ってどこにあるんだろうな。ハタチになってお酒を飲めるようになったら大人?自分でお金を稼いで暮らすようになったら大人?

 

悲しくても痛くても 我慢して泣かないのが大人?

自分のこと押し殺して 我慢するのが大人?

それが大人なら、わたしは一生大人になれないな。なりたくもないな。大人と子どもの狭間におちてしまったのかな。それもいいな。

 

ああ 子どもに戻りたいなあ と考えた時点で わたしは大人になってしまったんだなあ と実感した。

 

 

みたかったもの  みたくなかったもの

みてしまったもの  みようとしなかったもの

 

知らなかったこと  知りたくなかったこと

知ってしまったこと  知ろうとしなかったこと

 

言いたかったこと  言えなかったこと

言ってしまったこと  言いたくなかったこと

 

変わりたかったこと  変われなかったこと

変わりたくなかったこと

 

変わってしまったこと  変わってほしくなかったこと

変わろうとしていたこと

 

許せなかったこと  許したくなかったこと

許してほしかったこと  許してしまったこと

許したかったこと

 

 

生きているなあ。

 

 

R. 🌿

 

 

 

バニラな気分。

 

 

 

眠れなくて 朝になってしまった

こういう時なんだかすこしだけ 罪悪感が芽生える

悪いことはしていないけれど 朝眠るのはやっぱりよくないことだと解っているからなんだろうけど

 

もう11月も真ん中あたり

だんだん景色が冬になってきていてわくわくする

最近は専ら眠れない夜が続いていて とてもかなしい

夜に眠りたいんだわたしは

 

きのうみたドラマの感想なんてどうでもよくて

作ったグラタンを褒められたのは満更でもなくて

おとといあったかなしい出来事は忘れられなくて

やらなきゃいけないことほどやる気が起きなくて

なかなか巡り会えない香水探しの旅は終わらなくて

まわりと比べてしまっては自己嫌悪に陥ったりして

焼きたてのパンの匂いが無性に嗅ぎたくなって

部屋のちいさなサボテンがすこし大きくなっていて

気がついたら身の回りのものはすきな青で溢れていて

どうしてかな冬の寒い中でたべるアイスが好きで

眠れないまま朝が来て

 

 

今日も生きてる 

とんでもない幻 だったらいいのに

さむいからアイスクリーム食べたい

 

 

R. 🍨

 

 

 

君は僕のエネルギー。

 

俺節
「俺が俺というときは 俺とお前で俺だから」

 

 

2017年 8月28日

わたしは 俺節大阪大千穐楽より、この下書きをいつまでも下書きのままで眠らせていた。それは、この記しが未完成だったから。書きたいことが多すぎて、いつまでも いつまでも書き終わらないこの記しを そのまま公開するわけにもいかず、ずっと下書きのまま保存してあった。

 

俺節千穐楽から2ヶ月程経とうとしている今、早いものでもう 8月も終わってしまう。

こうして時間は過ぎて行ってしまうものだから、この未完成な記しを、いつまでも下書きに留めておくのはなんだか、違う気がした。だから、未完成のままでも載せよう と漸く思い立った所存です。

この作品から感じ取った素晴らしさを、あの日動かされた心を、記した日記です。未完成ながら、すべて、あの日感じた素直な言葉です。

( 後に編集しなおす、または追記することも大いにあるかと思います。いつか完成するかなあ。)

 

 

以下 2017年 6月末に記した文章

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

6月30日、舞台「俺節千穐楽を終え

俺節が終わってしまいました。

全34公演 本当におつかれさまでした。

もう 書きたいことだらけです 残しておきたい

本当にすばらしい作品だった 

 

セリフの言い回しや雰囲気は、覚えている限りのニュアンスで表現しています。

また自分の記憶だけでは曖昧なので、他の方の記憶も勝手ながらかなりお借りしまして 書かせて頂きます。

(皆さんの記憶力の良さに慄いております)

好きな、または印象にまたはシーンをあげていく。

以下ネタバレあるので 千穐楽終えたとはいえ知りたくないという方は 避けた方が良いと思います。

 

ちなみに順番もぐちゃぐちゃかもしれません。

覚えている限り なので。ご了承ください。

 

 

◎大野師匠が話すコージの歌への考え

オキナワ「お前の歌える時と歌えない時の違いは何なんだよ!」

コージ「おらにもよくわかんねんだぁ…」

大野「…思っていることが上手く言葉に出来なくて、やっと喉から出てきてみたら、歌になっちゃったんだろう…?」

コージ「…!それです…!」

大野「…生きづらいだろう?そんなんじゃ…」

 

 

◎北野波平からコージの歌への言葉

コージとオキナワが 大野師匠と共に流しとしてお店を周り、師匠がトイレへ行っている間の代わりに繋ぎを任される。そうして披露したのが小林旭「北へ」

それをお忍びで来ていた大物演歌歌手 北野波平が聴いていた。そしてコージが感想を問うと、北野は

「君は今、誰のために歌ったんだ?」

コージ「それは あのお客さんのためです」

北野「そのお客さんのために歌ったとき、君はどこにいたんだ?君は 『名もない港に 桃の花は咲けど 旅の町には やすらぎはないさ』(小林旭 「北へ」1977年) と歌った。情景が広がるねえ。しかし、その歌の景色の中に君の姿が見えなかった。君の歌の中には君自身がいない。」

 

北野「君の歌はまるで差出人の書かれていない手紙のようだ。俺ならそんな手紙、気持ち悪くて開けたくないね。君の歌の差出人は勿論 君であるべきだ。客のために歌う?何様のつもりだ!

  歌で嵐が吹き荒れるなら、ずぶ濡れになるべきは君だ。歌で大地が引き裂かれたら、奈落の底に落ちるべきは君だ。歌で誰かが死ぬのなら、客を殺すな!君が死ね!」

オキナワ「でもさぁ、そんなに自分自分で歌ったら、客の気持ちはどうなるんだよ?」
北野「客は歌い手の背景に自分をみるんだよ。歌い手の中に自分を感じるんだ。客はそんな歌い手の屍を見て、自分のことの様に涙を流すだろう。」

「君の歌が否定されたら君の全てが否定される、そんな歌を歌いたまえ。…あぁちょっと喋りすぎたな。」

 

 

 

 テレサが取調室で語ったコージへの想い

警察「この部屋で出来ることなら 特別にさせてやりましょうよ。何かしたいことはありますか?」

テレサ「演歌…演歌が聴きたい 。 白樺 青空 南風 …

警察「『北国の春』 か、いいメロディだよなあ。」

テレサ「いや、きっと この歌じゃなくても 好きになっていたと思います。歌詞やメロディーじゃなくて、気持ちが、気持ちが飛んできたの。あの人が歌っているときの気持ちを 好きになったんです。あれは わたしの気持ちでした。どうして、あの人の中からわたしの気持ちがでてきたんでしょう。 」

 

 

◎みれん横丁で師匠が語った「歌」への定義

師匠「俺は流しの端くれとして、レパートリーだけは何千曲も増やしてきた。でもそれは果たして歌か?」
コージ「じゃなきゃ何なんですか。」
師匠「俺の頭の中にあるだけならそれはきっと、ただの楽譜だ。俺の口から出たとき…」
陛下「歌になる!」
師匠「違う、まだだ。まだ歌じゃない。」

師匠「それが誰かの心に届く…惜しい!まだ歌じゃない。月日が経ち、歯を食いしばって どうしようもなく苦しいような場面でふと、あのときの俺のメロディが頭で鳴り響いたとする。そのとき初めて歌と呼ばれるものになる。だからそれが歌かどうかなんてすぐには分からない。何十年も経ってから分かることもあるんだ。」

 

 

 

◎オキナワからコージへ曲を渡す時のセリフ

コージ「オキナワもテレサもいなくなった今、背負うものがなくなって 自分だけになった今でも、自分のことすら重荷に感じてるんだ…」

 オキナワ「俺はこの歌を否定されたら自分の全てを否定される、そんな歌を書いた。なのに見る前から否定しないでくれよ…」

 

 

◎ コージとテレサが音階で会話をするシーン

言葉にならない 歌にならない想いを声にのせて

お互いに共鳴しあう 必死に伝え合う

とてもとても感動した ぼろぼろ泣いた
後ろの人は笑っていた 感じ方は人それぞれやね

 

 

◎コージの歌に足りないもの

テレサ「コージ、さっきの歌何が足りないか分かった。それは、私。私です。コージの歌は、私がいないとコージの歌じゃない。」

 

 

◎コージの歌うオキナワから貰った「俺節

テレサと話し、この歌詞を見てコージは「オキナワ、これはテレサと作ったのか?」と問う。もちろんそんな訳はなく、オキナワは「いや、俺がひとりで作った。」と答える。歌詞の中に、自分を重ねた。

 

 

俺節
作詞:福原充則監督  作曲:門司肇

 

ひとりで生きていけるのと 強がり放した手だけれど

夜と朝の境目辺りに見る夢で お前の名前を呼んでいた
おーいおーい ねぇ 届いているかい

もっと傍まで来てくれよ 心の中まで入っておいで

 

俺が俺というときは 俺とお前で俺だから

俺の俺節 おまえ節

 

何でもわかってくれるから 必死で隠したことだけど

挫けまみれの暮らしの中で お前の影を探してた

おーいおーい ねぇ どこまでいこう

もっとずっと遠くまで 黙ったまんまで歩こうよ

 

俺が俺というときは 俺とお前で俺だから
俺の俺節 おまえ節

 

 

ーーーーーー

 

 

 

舞台にはまりそう 生ってすごい

こちらに飛んでくるパワーがすごい
熱量とアドリブと その空気感が ドカンと飛んでくる

同じシーンでも 観る度にちがう顔がみられる

 

 

本編最後の コージが新聞を投げるシーン
その瞬間の、プツンと緊張の糸が解けたような
あの顔が忘れられない 瞼に焼き付いている

どれだけの期待と不安、プレッシャーを背負って あの舞台の真ん中で 叫ぶ様に歌っていたのか
わたしなんぞには想像もつかないほどのものであろう

魂の叫びのようで とても美しくて 儚くて 怖かった

 

体力的にやられて 精神的にやられたとき、みんながいてくれた と彼は話した 最高のカンパニーだと

このカンパニーと出会えたことは 一生大切にする宝物だと そう話してくれた彼の顔は本当に誇らしげで 前を向いていた もう未来を見ていた

千穐楽が終わってしまった悲しみや寂しさに関する言葉は一言も発さず、この経験を糧にする と

ああ この人がわたしの好きな ずっと好きな人だ
と ファンとして誇らしくなった
公演期間中だけではなく 稽古が始まった頃から
日に日に痩せていく彼を見ていて、とても不安になった 心配になった
舞台に命をかけ 自ら首を絞める彼から この舞台が終わってしまったら 役と共に彼はいなくなってしまうんじゃないかと思うほどの気迫を感じて こちらまでしんどく そして怖くなる期間だった

だけど これは彼自身の闘いであったから
やりきった、演じ切った彼に 心からの敬意と
お疲れ様でしたという労いと 精一杯の拍手を。
わたしにはそれしか出来ることがない

思い出すだけで泣きそうだ
今でも瞼に焼き付いている 俺節千穐楽

自分の好きな人がこんなに誇らしいなんて
なんて幸せなことなんだろう

俺節は終わったけれど、もうすぐツアーが始まってしまうし、ツアーリハは既に始まっている
むしろ千穐楽が終わった途端、東京に戻ってMステに生出演している。休む暇なんてない。
それはとても心配だけど、彼は今日もテレビの中で笑っている。無理している時もたくさんあるよね、いつもいつも無理に笑わせてしまっているのはこちらだよなあ お仕事って酷だなあ そのおかげで出会えたのだけど

本当のこと言ったら、いますぐ沖縄に行って2週間くらい 海のそばでゆっくりしてほしい
ビジネスなんてわすれて ギター弾いたり 海潜ったり
好きなことだけして のんびり過ごしてほしい
でも今すぐにそれは叶えられないもんなあ

 

 

ーーーーーーーー

 

でもこの感動はまだ 上書きしたくないなあ
この感動を超える舞台に出会えるかなあ
それはまた 彼の舞台なのかなあ

 

ーーーーーー

 

 追記

 

この記事をすこしだけ 感想だけ追記した。

今日はもう2017年11月2日 夜中の3時過ぎ

 

眠っていたら目が覚めて 気づいたら涙が流れていた

夢をみていた 俺節の夢をみていたことを思い出した

 

もう千穐楽から4ヶ月以上経っているのに まだ、わたしは俺節を思い出し 夢にまでみて 未だに涙を流している

正確には、舞台「俺節」を終えた安田章大を想い 涙を流している。あの日のあの顔を 安堵と 寂しさと やり切ったという誇りと 色んな感情が混ざった なんとも言えないあの表情を わたしは一生忘れられない。忘れたくない。今でも目を閉じればすぐに 瞼の裏に呼び戻せる景色 簡単に蘇るあの歌声 熱い記憶

 

そんなふうに作品を想い、彼を想い、夢にまでみて 涙をぼろぼろ流すなんて自分でもびっくりしている。

本当にそれほど 心を動かされた 魂を揺さぶられた 唯一無二の舞台であったこと 一生忘れない。

 

 

それだけ。

めいっぱいの愛情と ありったけの敬意を込めて。

 

 

R. 

 

 

 

パーフェクトじゃ つまらない。

 

 

 

わたしは 自分で言うのもなんだが かなり外面がいい方だと思う 母にもよく言われる うちの家系的にもそうらしい 事実兄もかなりそうだと思う

 

見栄っ張り それも少し違う気がする

自己顕示欲 それは誰しもあるし そんな気もする

自分でもよくわからない よくわからないうちに染み付いてしまっていたのかもしれない

 

嘘をつくまではあまりしないけれど、答えず なんとなくぼかしたりする それは認める

 

よく思われたい

八方美人のような感じ

 

でも、よく思われるってなんだろう と考えた

鎧かぶって 怖いから 本当の自分は見せないままで

 

一度見栄を張るためについた嘘が あとになって

自分の首を絞めてしまうことってよく あることです

 

それが怖いから、たまにしか会わないような、適当に話を合わせるだけの相手ならば それでもいいのかもしれない

 

適当に帳尻合わせたり、次会うまでに 嘘を事実に変えてしまったり、なんなら最後までバレずに 誤魔化し通せるかもしれない

 

全部 本当を伝えればいいって訳でもない

わざわざ伝える必要がないこともあるとおもう

 

 

例えば、全く料理のできない人が 「私は料理が得意だ」と嘘をついてしまったとして

 

それが身近な人、家族であったり 仲のいい友人であったり 付き合っている人であったり、その嘘をつき通すには無理がある関係にあたる相手であるのならば、適当に帳尻合わせるのには限界がある。 次会うまでに嘘を事実に変えてしまうには、次会うまでの期間が短すぎる。そもそも最後までバレない訳が無い。

 

そんな身近な、すぐに嘘がバレてしまうような関係性の相手に、どう考えてもこんな嘘はつくべきではない。バレたところでいいことが無い。

 

 

対して、それがたまにしか会わないような人、今後の人生で会う確率の低い人ならば、その場しのぎで見栄を張っても そんなに今後響くこともない気がする。

 

まあそんなのが解らないから、我々はどうでもいい嘘をついて 後でやっちまったと後悔するのですが。

よくあることでいえば 嘘をつきたいつもりじゃなくてもね、その場だけの関係だと思って 聞かれたことの答えを適当に伝えたけれど、実は今後も関係のある人間であった とかね あるよね

 

 

未だについつい 自分をよく見せようとしてしまうこともあるけれど、昔に比べれば大分マシになった

 

完璧でいようとするとつまらない人間になるのかもしれない 等身大でいたいなあ と思うこの頃

強がってよく見せようとしても 墓穴掘るよね

 

あるよね きっと誰でもある

 

解る人には解られてるとおもう 見抜かれてる

 

 

ありのままってむずかしいけど

すべてさらけだすなんて怖すぎるけど

案外食わず嫌いなだけなのかもしれない

 

 

 

憧れのあの人は そういうところが上手で

でもそれは環境だったり経験だったり

いろいろな条件があっての あの人だから

 

憧れすぎて 自分をなくさないようにしよう

 

 

自分らしくってなにか解らへんけど

 

ありのままでいよう という意識を持とう

 

完璧な人間なんてなりたくないな

 

 

あの花束をドライフラワーにすべく乾燥中

 

 

鯨にあいたい

 

 

 

R. 🐋

 

 

 

花束と羊。

 

 

 

母の日 🌹

お花とケーキをプレゼントしました

 

親子揃って お花だいすきです

カーネーション すてきやね

 

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大人になってからの方が、母の偉大さに気付かされることがとても多い。母ってすごい。尊敬しています。

いつまでも元気で 変わらずパワフルオカンでいてな。

 

 

 

最近 夜ふかしばかり。

お肌にも良くないとわかっていながら、なかなか早寝早起きは出来ない。帰ってくると毎日 日付超えるお仕事なので、なかなか難しいなあ。

 

日曜は必ずお休みなのだけれど、日曜の夜ってなんだかいつも眠れない。どうしてだろう。明日が来るのが嫌なのかな。休日が終わってしまうのが嫌なのかな。

 

 

 

夜ふかしをしてしまうのは

その1日に満足出来なかったから

その1日が充実していなかったから

その1日に後悔を置いてきたから やと思う

 

 

よくないなあ と思いつつ

 

 

今日も絶賛 夜ふかし中です

 

さて明日も仕事 しあわせなことだわ

 

 

羊が1匹

 

 

R. 🐏

 

 

ハッピーエンドと 長い夜。

 

 

 

仕事から終電で帰宅して シャワーを浴びて 野菜ジュース片手に 録り溜めていたドラマを数話 一気に観た

 

とても後味の悪い物語 嫌いじゃない 寧ろ 後味の悪い作品を観ると どこか安心するのは何故だろう

 

何が正義で 何が悪で 悪に染まる 正義に染まる

何がきっかけで それは紙一重なのかもしれない

 

誰にとっての正義 誰にとって都合の良いこと

誰にとっての悪 誰にとって都合の悪いこと

自分にとっての正義や悪が 誰かにとっての悪や正義であるかもしれないと知ってしまったら 気づいてしまったら 途端に動けなくなる 解らなくなる

 

ハッピーエンドなど 望んでいないのだろうか

そもそもハッピーエンドなんて 誰が決めるのか

日常には 終わりの日まで 続きが在るものだ

本当の終わりなんて その時になるまで解らないものだ

 

そう考えると、ハッピーエンドにも続きがあるはずで

本当の意味でのハッピーエンドなど あるのだろうか

 

わたしが 後味の悪い作品に惹かれる理由が

 解ったような気もした

 

 

朝だ 寝ようと考えて寝室に向かった

寝室のカーテンが開いたままになっていて、

外から眩しいくらいに朝日が射し込んでいた

 

後味の悪いドラマのせいで もやもやしたままの心が

なんだか晴れた気がする 太陽ってすごいなあ

自然の力ってすごいなあ 人間って単純だなあ

 

 

玄関の外で朝日を浴びながら 歯を磨いた

肌寒いけれど とても気持ちがよかった

 

すっかり日が昇るのも早くなったなあ

夏が近づいている

 

 

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今日も長い夜だった

おやすみなさい

 

 

良い夢を。

 

 

 

R. 🌞

 

 

 

 

 

 

 

Cool と Fool は すこし似てる。

 

 

好きなバンドの新譜が出た。今日 突然。

この人たちには いつまでもわくわくする。

わくわくさせてくれる。ありがとうでいっぱい。

 

更にツアーが発表された。会いたい。

あなたの声が聴きたい。唄が聴きたい。

愛おしそうに演奏する姿を 目に焼き付けたい。

 

 

もしもわたしが 音楽を好きにならなかったなら

小学校3年生のときに あのCDを手に取らなければ

いまのわたしは 絶対にいないだろう 言いきれる

 

いろんな感じ方 考え方 受け取り方 発想の自由

歪んだ思考 何よりも澄み切った純粋なことば

汚い部分 綺麗な心 選ぶ言葉 その使い方 詩 文学 

メロディの流れ コード進行 その他諸々いろんなもの

学んで来なかっただろうし 考えもしなかっただろう

 

自分の核になるもの えらんできたもの 生きる意味

わたしをつくる色んなものに 影響を与えてくれた

 

これはすべて たらればの話になってしまうけれど、それでも 思いつくだけでこんなにも こんなにもわたしの人生に彩を与えてくれていること 解る

 

 

もし音楽を好きでなかったのならば、仮に好きだとしても 熱烈に心動かされていなければ、きっと、洋服 メイク そういった自分を着飾るものに いちばんお金を注ぎ込んでいたでしょう

 

今わたしが すきな音楽に費やしているお金で、洋服を買ったり 化粧品を買ったり 美容にお金をかけていたはず

そういったものが 多少なりとも我慢して 後回しにしてもいいと思えるほど、音楽がいちばんすきで 大事だ

 

だから、生活が苦しくても音楽を聴くし

ライブに行くことをやめない やめられない

 

生きる意味の 大きなひとつになっているから。

大袈裟なんかでもなく、まだ死ねない と良く 思う。

 

 

CD 映像作品 FC会費 ライブ 舞台 交通費など

もちろん、どれもお金がかかるもの

 

でもそうやってお金を払うことが、好きなバンドやアーティスト、アイドル達に対する 最大の敬意である とわたしは考えている

(もちろん正当な金額を公式に ね

 チケットの高額転売は 断固反対です)

 

 

SNSが発達して、便利な時代になった

すきなアーティストの発信する日常やお知らせを、誰でも気軽に見ることができる今の時代、存在を勝手に近くに感じてしまっている人が 多いように思う

 

気軽にリプライを送ることが出来るし、コメントを残すことが出来るし、そんな自分の言葉を 好きな人が見てくれるかもしれない すごいことです

 

でもだからといって 馴れ馴れしく話すのは なあ と。

誰からでも 好きな人からでも見えるからこそ、

好きだからこそ そう思います。

 

あんたの友達じゃあ ないよ と言いたくなる。

 

言わないけど。

 

 

人に対しての敬意って大切

 

スキでも キライでも

 

 

 

そんな話。

 

新譜とツアーに わくわくして眠れない夜の日記。

 

しあわせなことだね 感謝やなあ

 

今宵もキャンドルがゆらゆら揺れる

 

 

 

R. 🕯